■秦の始皇帝はユダヤ人だった!?

 実は、始皇帝の生い立ちはかなり複雑。本名を嬴政と言い、紀元前259年に趙という国で誕生しました。

 父は、秦の王族である子楚、母は趙姫です。当時、子楚は、政争に敗れて人質として敵国の趙に滞在しており、その土地で趙姫と出会ったというわけです。

 このとき、子楚と趙姫の仲を取り持ったのが、大商人の呂不韋だといわれています。呂不韋は生粋のビジネスマンで、冷遇されていた子楚を支援すれば将来必ず利益になると見抜きました。そこで、自身の愛人だった趙姫を差し出し、子楚からの信頼を得たんです。

 結果、呂不韋は、秦の宰相(大臣)にまで出世するんですが、ユダヤ人説の核心は、この場面にあります。

 司馬遷が編纂した歴史書『史記』によると、趙姫はなんと呂不韋の子を身ごもっていた。子楚の息子として育てられた嬴政ですが、実は呂不韋と趙姫の子だったというんです。