■超写実的な兵馬俑はギリシャ人仕込み!?

 それだけでも衝撃ですが、さらに、呂不韋はユダヤ人だったという説があります。

 呂不韋は中国とチベットの国境付近に住む遊牧民・羌族(チャン族)の出身です。羌族はユダヤ人と似た風習を持っており、イスラエルの調査機関『アミシャーブ』は、旧約聖書にある“失われた十支族”の1つ、マナセ族の末裔の可能性が高いと認定しているんです。

 ちなみにマナセ族は羌族に製鉄の技術を伝えたともいわれていて、呂不韋の故郷の西部では鉄鋼が盛んだったそうです。

 さて本題に戻ると、そんな呂不韋の子である嬴政もユダヤ系だったということ。それを裏付けるかのように、始皇帝(嬴政)は、鼻が高くて、目は切れ長だったという記録も残っており、容姿はヨーロッパ人に近かったそうです。あくまで仮説ですが、私は、十分にありうると思います。2016年には、中国の研究者が、「兵馬俑は、ギリシャ人彫刻家が指導していた可能性がある」と発表し、話題になりました。当時、すでにヨーロッパとの民族的な交流があったというわけです。

 また、大商人の呂不韋も、若干39歳で中華統一を果たした嬴政も、なぜ一代で、そこまで成し遂げられたのかというと、先進的な技術や文化を持った外国人だったという点も大きいのではないでしょうか。

 群雄割拠の戦国時代にも、国を統治する要は“文化力”ということなんでしょう。

貴乃花光司(たかのはな・こうじ)
1972年8月12日、東京都生まれ。88年、藤島部屋に入門。92年の初場所で、史上最年少の19歳5か月で幕内初優勝。兄・若乃花と「若貴フィーバー」を巻き起こす。94年11月に第65代横綱に昇進。幕内優勝22回。生涯戦歴は794勝で、「平成の大横綱」と呼ばれた。2018年に日本相撲協会を退職し、現在はテレビ、講演会等、幅広く活躍中。