横綱、親方として、相撲を通じて日本文化や神事に長らく関わってきた貴乃花。自身が体験したことや、本を読んで学んだこと、そして、心に残った“ニッポンの魅力”を、歴史の話も交えながら伝えていく。
高市早苗さんが女性初の首相に就任して話題になりましたが、日本の古代にも、女性が大きな力を持った時代がありました。
皆さんご存じ、邪馬台国の女王・卑弥呼です。今回は、謎に包まれた彼女の実像をひもときましょう。
そもそも卑弥呼が謎の存在なのは、日本の歴史書には登場しないからです。
知る手がかりは、中国の陳寿が著した『魏志倭人伝』にある2000字ほどの記述のみと、情報源がとても少ないんですね。
それによれば、2世紀後半の倭国(日本列島)は、小国同士の争いが絶えない戦乱の世が続いていたそうです。そこで、29の国々が手を結び、卑弥呼をリーダーに据えた邪馬台国が誕生しました。
彼女は、“鬼道”という呪術に長け、人前に姿を現すことは、ほぼありませんでした。下女1000人と武装した兵士に守られ、日々、神のお告げを伝えながら、政治の実務は弟に任せ、自らは宗教的な王として国を統治していたんです。
邪馬台国は南方の狗奴国との争いで苦戦し、239年、強国・魏に使いを派遣し、後ろ盾を求めました。
このとき、卑弥呼に“親魏倭王”という称号が与えられ、金印などを受け取ったエピソードはご存じの方も多いでしょう。
邪馬台国が争いに勝ったのかは定かではありませんが、248年頃に卑弥呼は亡くなったと記されています。死因は不明で、戦死説や暗殺説など、さまざまな臆測が飛び交っています。