■邪馬台国は海上にある?

 さて、卑弥呼を語るうえで欠かせないのが、彼女が治めていた邪馬台国が、どこにあったのかということ。主に畿内説と九州説があり、なんと、江戸時代から議論が続いているそうです。

 魏志倭人伝に記された方角と距離を、そのまま計算すると、邪馬台国は九州南方の海上に位置します。実際の地理とは一致しないんですね。当時は地球が丸いという認識もないですし、記録の誤差が生じるのは当然のことでしょう。

 そこで、方角を修正したのが畿内説(奈良県)、距離を修正したのが九州説(福岡県など)になるわけですが、私は、九州説が自然ではないかと思っています。

 中国大陸との距離を考えれば、九州が最も近いですし、福岡県田川市からは、卑弥呼が生きていた弥生時代後期のものと思われる、“内行花文鏡”が発掘されています。

 田川市は九州の海沿いから少し内陸に入った山間の町です。卑弥呼の時代、沿岸部には伊都国や那国などの巨大な集落があって、古墳も多数見つかっています。そうした地域を見下ろし、監視する拠点としても田川市周辺が妥当でしょう。