武田鉄矢が、心を動かされた一冊を取り上げ、“武田流解釈”をふんだんに交えながら書籍から得た知見や感動を語り下ろす。まるで魚を三枚におろすように、本質を丁寧にさばいていく。

 革新的アイディアと斬新なビジネスセンスで、江戸の街に出版ブームを巻き起こした蔦谷重三郎について、『蔦谷重三郎 江戸の反骨メディア王』(増田晶文・新潮選書)を参考文献に、武田節全開でお届けしております!

 吉原遊郭のガイドブック「吉原細見」の取材記者・編集担当として24歳で出版界にデビューした蔦重。

 花魁を花に見立てて粋に紹介する『一目千本 花すまい』などの斬新なアイデア本が評判となって、江戸の出版界隈に彼の名がとどろくようになります。

 ちょうどその頃、蔦重に大チャンスが巡ってきます。当初、老舗版元『鱗形屋』の下請けで「吉原細見」のスタッフの一人として出版界に関わるようになった蔦重ですが、あろうことか鱗形屋が大スキャンダルを起こしてしまう。

 それが“著作権侵害”。大阪の本屋が出した本を勝手に改題して、同じ内容を出版してしまった。

 この盗作事件は当時、江戸の街で評判になって、「鱗形屋も落ちぶれたもんだ」と老舗版元の信用はガタ落ち。これを機に蔦屋重三郎は鱗形屋の下請けを離れ、版元として完全に独立することになります。

 それまで「吉原細見」は江戸屈指の大手書店でもある鱗形屋が独占販売していましたが、スキャンダルをきっかけに出せなくなる。

 目端の利く蔦重がそれを見逃すはずがない。自ら細見の出版に乗り出し、蔦重版の吉原ガイドブックは大評判となる。

重三郎のアイディアで、吉原タウンガイドは一気にみやすく軽便になった。(中略)コンテンツは充実、しかもリーズナブル――重三郎が手掛けた細見は鱗形屋版をセールス面でも凌駕したに違いあるまい。事実、八年後には重三郎が吉原細見を独占出版するようになる