■吉原発の江戸カルチャーマガジン

 当時の吉原は、街を歩きながら、店舗で待機してる女性たちを“品定め”できる、今でいうショーウインドウ形式になっていたそうです。客と遊女の間には木の格子があって、客はそこから遊女たちを眺めて、格子越しに会話ができるようになっていた。

 この木の格子を「籬(まがき)」と言います。客と遊女の会話はすべて、この籬越し。吉原では、客と遊女は“籬越しの恋”を演ずるんですね。蔦重は、この籬をタイトルに付けた『籬の花』という独自編集した「吉原細見」を出して、これまた大ヒット。

 編集能力に長けていた重三郎は、細見というガイドブックに目新しい企画を入れ込みます。その一つが、エレキテルの発明でもおなじみの文化人の平賀源内。蔦重のことを面白がった源内は、細見の巻頭に序文を寄せております。

 そこに記されている源内のペンネームが面白い。

「福内鬼外(ふくちきがい)」

 何のことはない、「福は内、鬼は外」。こういうふざけたペンネームを使って、平賀源内のような武家出身の学者や文化人たちが「おめえ、面白れぇな」と蔦重のもとに集まり、本づくりに参加していく。

細見の柱は遊女データと妓楼マップだが、重三郎はそこにカルチャーテイストを吹き込んだ

 増田さんの本にはこうありますが、源内のような才人が次々に参加するようになると、ただの色町ガイドブックだった「吉原細見」がパーッと文化の匂いがするようになるんですね。

 当初は夜のタウンガイドとしてヒットしたわけですが、蔦重の手にかかれば、吉原発の江戸カルチャーマガジンに早変わり。

 一流の絵師が描いたグラビアあり、文化人エッセイあり、“戯作”という通俗小説などの読み物あり、学者さんの論文なんかも分かりやすく絵にして入れたり。女性を紹介するガイドブックでありながら、知的好奇心も刺激するバラエティに富んだ内容になった。値段が安くて、詳しい情報が載っていて、見やすくて読みやすいうえにキレイなグラビアで目の保養にもなる。

 こうして蔦重は、細見に文化をどんどん取り入れていく。すると吉原に行かなくても読み物として面白いもんで、一見、吉原とは縁がないような武芸一筋、勉学一筋の固いお侍さんや学者たちも細見のページを、ちょいちょいめくるようになった。