■ただの鰻重の話が男女の恋歌みたく
この大田南畝をはじめとする文化人の狂歌師たちが、蔦重とタッグを組んで狂歌ブームを巻き起こす。「浪花の狂歌はガサツで面白くねぇ」と豪語するだけあって、大田南畝の詠む狂歌は、その知識の深さが半端じゃなく深い。
南畝が詠んだ狂歌の馬鹿馬鹿しさを皆さんもとくとご堪能あれ。
あなうなぎ いづくの山の いもとせを さかれて後に 身をこがすとは
本書ではこの句の訳がこう書かれています。
あぁ、つらいことよ。山芋が変化した鰻が背開きの蒲焼きにされるように、どこかの男女も仲を裂かれ恋情に身を焦がしているのだろう
さらに句の解説も、紹介しましょう。
「あな」は「あぁ、なんと、まぁ」ほどのニュアンスの感嘆詞。「あなうなぎ」は「鰻」だけでなく、「う」に「憂し」を掛けてある。「山いも」は山芋が変じて鰻になるという俗信を踏まえた縁語。そこへ「妹背」で恋人を掛け、さらに「背を裂かれ」と掛詞を畳みかけていく。南畝ならではの、才気走った技巧を織り込んでみせた
(※編集部註:妹背=親しい間柄の男女)
ただ、鰻重の話をしているだけなんだけど、実は、そこに隠し味があって、なんだか古今和歌集で聞いたような男女の恋の歌に似ている。
この、なんとも言えない馬鹿馬鹿しさを、作り手たちは腹を抱えて笑ったんですね。
次は太田南畝の傑作中の傑作。この歌を、ぜひ本サイトで紹介したかった。この歌に私は本当に感動したのよ。まずは元ネタとなった歌を紹介しましょう。
七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき
(山吹の花は七つも八つも咲いているけれども実が一つも実らない。実のない花の哀しさよ)
これは『後拾遺和歌集』に収録された兼明親王の名歌なんですが、大田南畝は、これをパロディ化した。
この歌が最高なんだ。
七へ八へ へをこき井出の 山吹の みのひとつだに 出ぬぞきよけれ
武田流に解釈するなら、「七発も八発も屁をこいたけど、ケツの穴から山吹色の実は出してないぞ。汚してないんだから、屁をこいたっていいじゃないか」となる。
この下ネタの汚さ。でも汚いだけじゃない。古典文学に関する深い知識を持って馬鹿笑いしてる。よほどの教養がないと、これほどの馬鹿馬鹿しさが生まれない。
『べらぼう』では、みんながおふざけで「へ! へ!」って踊るシーンがありましたが、あれは大田南畝がつくったこの狂歌を下敷きにしたエピソードなんですね。こういう圧倒的な知識の深さを無駄遣いするのが、狂歌の面白さ。
大田南畝だけじゃありませんよ。他の狂歌師たちもシャレを効かせたペンネームで世相を穿って狂歌を詠んでみせた。
「酒上不埒=さけのうえのふらち」「宿屋飯盛=やどやのめしもり」「土師掻安=はじのかきやす」「頭光=つむりのひかる」などなど、好き放題に名前を付けて面白がっている様子が目に浮かぶ。
おそらく近代の日本文学でいえば、三島由紀夫とか川端康成とか、それぐらいすごい文才や教養を持った人たちが、蔦重のもとに集い、狂歌を詠んでふざけた。それを狂歌集として世に出し、狙い通りに狂歌ブームを巻き起こすあたりが、蔦屋重三郎の類稀なる出版センスなんですね。
増田晶文著。20代前半で吉原大門前に書店を開業し、出版界に新風をもたらした蔦屋重三郎。吉原の「遊郭ガイド」を販売し、「狂歌」や「黄表紙」のヒット作を生んだ背景 “江戸のメディア王”の波乱万丈な生涯を描く。

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。