■外タレという日本語に応える“2つのニーズ”
マライさんが「外タレ」という単語を知ったのは90年代末。高校生で兵庫県の姫路に留学した際に、ホームステイ先の家族と一緒にテレビを見ていたら、ビートたけしさんが司会をしていた『ここがヘンだよ日本人』(TBS系)という番組に外タレが多数、出演していた。
皆さんもご覧になったこと、あるでしょうか。日本に住む外国人出演者が、日本で生活する中で感じたさまざまな問題や違和感に対して、日本人パネラーと討論を交わしていく討論バラエティ番組です。
外タレさんたちは“日本人の異様さ”みたいなものを取り上げては、話を盛り上げる。出演していた外タレさんを分類すると、やたら日本に感動を示す“日本すごい系”と、ここはおかしいと主張する“ここがヘンだよ日本人系”の2種類がいた。
「そういう役をこなしている外国人のことを日本語でいう“外タレ”と呼ぶ」と、マライさんは指摘します。ズバリ言うと、そのように発言することによって、その人は“外国人タレント”というキャラを演じているんです。
マライさんいわく、テレビ番組に呼ばれた外タレに求められる“外タレらしさ”とは、「外国人らしさがあること」と「外国人らしからぬ愛嬌があること」。この2つを秘めていないと「外タレ」という日本語が持っているニーズには応えられない。
それは、テレビ番組が求める外国人像を演じる能力があるかどうかが試されているのであって、要は“外タレを演じている人”、それが日本語の意味する外タレなんですね。
ちなみにマライさん、外国人タレントの正式な歴史として、“文明開化”のために日本に呼ばれた明治時代の「お雇い外国人」についても述べておられます。
今の朝ドラ『ばけばけ』(NHK)のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)もお雇い外国人ですよね。彼は当初、英語教師として日本にやって来ました。給料も良かったらしいのよ。超エリートですよ。だから、武家の末裔のセツさんを奥さんにもらえたわけです。
そんな先生を外国から招聘するときに、日本という国は、ものすごくお金を出す。極東の島国で世界の学びの場から遠く離れた所にいるから、昔から教育に関して日本は「お金がかかるものだ」と思っていたんでしょうね。
今も日本人というのは、異国の人から何かを指摘されると、ものすごく喜びますよね。「日本人を、どう思いますか?」って、自分たちの印象を外国人に、これだけ聞く民族って少ないですよ。
だって夕方のニュースで「日本で何食べましたか?」って、そんな、どうでもいいようなことまで外国人観光客に聞いて回るんだもの。よっぽど、異国の人の日本に対する印象を知りたいんでしょうね。
マライさんも本書で触れておられますが、GDP(国内総生産)がドイツに抜かれて日本が4位に落ちたとき(2024年)、「それについてドイツ人は、どう思いますか?」って、マライさんにもスタッフがインタビューしに来たそうです。
ドイツの人たちは全然、そんなこと気にしていないのに、日本人は日本を抜いたドイツ人の感想を聞きたがる。日本のこと、日本人のことを異国の人に聞きたがるのが、日本人の特徴なんだ。
そう考えると「外タレ」という日本語は、ただの「外国人タレント」の略称ではない。
「日本人の学びを刺激するという役割を秘めた、外国人らしさと外国人らしからぬ愛嬌を兼ね備えた“外国人のタレント”というキャラを演じている外国人」
すんごく長くなりましたが、つまり、それが「外タレ」という言葉の奥に秘められた“開かずの間”なんですね。
ドイツ出身で、文芸評論に翻訳、コメンテーターなど、幅広く活躍するマライ・メントライ。彼女が日本語の構造や日本人の感性を論じた話題作。鋭い観察眼に、つい、ハッとして唸ってしまう。

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。