教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!
江戸幕府が300年近くも続いた理由の1つに、将軍を支える名補佐役、「ナンバー2」の存在がある。
中でも3代将軍徳川家光・4代将軍家綱の父子2代にわたり、およそ30年余の間、老中として幕府のかじ取りにあたった阿部忠秋(あべ・ただあき)(下野壬生藩主・武蔵忍藩主)は、江戸時代を代表する「ナンバー2」だ。
大河ドラマ『べらぼう』に登場する松平定信(陸奥白河藩主)著の『白川家政録』には「細川武蔵守入道常久以来の執権なり」と記されている。入道常久とは、前号で紹介した細川頼之の出家名。室町幕府の礎を築いた人物の再来と称しているのだ。
この定信の他、会津藩主の保科正之(ほしな・まさゆき)や林鵞峰(はやし・がほう)(著名な儒学者・林羅山の三男)ら、当時の辛口評論家と言える諸氏も賛辞を惜しまない。そんな江戸時代初期の名老中とは、どのような人物だったのだろうか。