武田鉄矢が、心を動かされた一冊を取り上げ、“武田流解釈”をふんだんに交えながら書籍から得た知見や感動を語り下ろす。まるで魚を三枚におろすように、本質を丁寧にさばいていく。
マライ・メントラインさんという日本在住のドイツ女性が書かれた『日本語再定義』という書籍を題材に、ふだん我々がなにげなく使っている日本語について、外国の方の視点で見た“日本語の不思議”をテーマに語っております。<前回の記事はこちら>
今回、取り上げる不思議な日本語は、【四季】と【おもてなし】。
マライさんは本書で、こう述べておられます。
観光CMとかで、「日本には、四季があります!!」という明るい売り言葉をよく耳にするが、じゃあ外国には四季が無いのかよ、とそのたびに思う
確かにおっしゃる通り、四季があるのは世界中で日本だけじゃありません。海外の方は「いや、日本だけじゃなくて、うちの国にもあるよ」と思うそうですね(笑)。
同様におもてなしの心も、どの国の人も持ってますよね。東京五輪のときに「O・MO・TE・NA・SHI」なんて胸張って、いちいち言うことじゃない。リオデジャネイロだってパリだって、ボランティアを募って選手や観客を一生懸命おもてなししていました。
マライさんからすれば、「日本には四季があります」「日本人は、おもてなしの心を持っています」というこの手の言葉には“論理性がない”というんですね。
確かに彼女が指摘する通り、四季(フォーシーズン)というのは日本独自の資源ではありません。
地球の自転と公転が織りなす気象や気候の変化であって、それは天体の現象。アメリカにだってドイツにだってあるし、気候の移り変わりを四季というならば、東南アジアやハワイにだってある。
それを日本人は、まるで日本にしかないかのように「日本には四季があります」と、平気で観光用キャッチコピーに書いている。これはマライさんのご指摘通り、非論理的であると言えますよね。