■【おもてなし】という言葉に秘められた意味
もう一つの「おもてなしの心」だって、たとえばアメリカ旅行でドナルド・トランプさんが経営しているホテルに泊まっても、おもてなしの心をホテルスタッフは持っている。
じゃあ、なんで日本人は、こんな非論理的表現を、ふだん使いの言葉にしているのだろうか。
ここに日本語の“罠”がある。四季・おもてなしという言葉の奥の“開かずの間”に秘められた意味があるんじゃなかろうか。そこを武田流解釈で説明しましょう。
具体的な例を挙げてみましょう。四季でいえば、まずは春。
日本人が春でイメージするのは「桜」。日本人は、その桜咲く季節に、人生の希望のような特別な感情を抱きます。ときに、その感情には「春の宵に桜の下で死にたいなあ」なんていう死生観まで抱くことがある。
平安時代の歌人、西行の有名な歌にも残ってますよね。
願わくは 花の下にて 春死なん
その如月の 望月の頃
桜が咲く季節に死のタイミングを合わせたい。そんなふうに春という季節をイメージするのは、世界広しといえども日本人だけでしょう。
じゃあ、夏はどうか。日本にしかない夏はいろいろありますが、私ね、外国人観光客が撮った光景をユーチューブで見て感動したんですよ。
夏の日の午後、奈良公園に降る夕立ち。軒下の地べたに、外国人観光客、ヨーロッパ系のお嬢さんが座って雨宿りしていると、そこにシカも入ってきた。シカも雨に濡れたくないから、地べたに座り雨宿りする。ヨーロッパ系のお嬢さんとシカが仲良く座って雨宿りしている。風情あるよねぇ。そのとき、その外国人のお嬢さんが、嬉しそうにワクワクした顔しているのよ。
シカと一緒に地べたに座って雨宿りするなんて、日本の奈良の夏しかないですよね。
秋といえば紅葉。これは私が実際に見かけた光景ですが、紅葉の季節に新宿御苑に出かけたときのこと。異国で警戒心が研ぎ澄まされているであろう、おそらく東ヨーロッパ系の彫りの深い顔立ちをした人や、中華系の旅行者の人、その人たちが芝生に寝っ転がって昼寝してる。それも本気で眠っている。
外国の公園に行くと分かりますが、昼寝してる人なんかいませんよ。つまり、新宿御苑には海外ほど置き引きや、かっぱらいが多くない。日本だと当たり前だけど、ロンドンのハイドパークや、ニューヨークのセントラルパークでは、そんなことありません。木陰の薄暗いところなんて、怖いもん。危ないやつがいるんじゃないかって。