教科書には載っていない“本当の歴史”――歴史研究家・跡部蛮が一級史料をもとに、日本人の9割が知らない偉人たちの裏の顔を明かす!

 田沼意次の悪徳賄賂政治家としてのイメージは、NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で払拭されつつあるのではないか。ただし、意次が清廉潔白な政治家であったわけではない。この時代、賄賂が横行し、意次も例外ではなかった。仙台藩主・伊達重村の昇進問題に関係して賄賂を受け取った疑惑がある。

 いわゆる「田沼時代」が再評価されるのは、幕府の財政を立て直すべく思い切った経済政策を実行したからだ。しかし同時に、それは庶民の貧富の差を広げることにつながった。

 意次が11代将軍徳川家治の側近(側用人)になった明和4年(1767年)から老中を辞職する天明6年(1786年)まで、事実上の「ナンバー2」として家治を支えた「田沼時代」の功罪について検証した。

 まず、この時代、一揆などによる農民側の反発もあり、高い年貢を取り立てて増収を図る方法が難しくなっていた。そこで意次は株仲間に目をつける。営業上の利益を守るために仲間(同業者)同士が団結し、幕府に組合として認めさせる動きは8代将軍吉宗の時代からあり、意次はその株仲間を奨励した。

 狙いは1組合につき年間100両ほどの高額な冥加金(公認料)だった。幕府はこれで財政が潤い、商人や職人らは営業上の権利を幕府に保証してもらえるとあって、江戸、大坂などの都市部のみならず、地方でも相次いで結成されていった。