■他者との分断を避ける便利な言葉が「エモい」
この「エモい」もまた暗号めいたニュアンスが言葉の奥に秘められております。
「エモい」を使って感情や感性をなんとなくぼやかして表現することで、相手とのコミュニケーションを成立させることができる。
個人によって意味合いに微妙な違いがあっても、何となく感情や感性を他者と共有することができる。相手との分断を避けてコミュニケーションをスムーズに行うための便利な言葉が、「エモい」なんですね。
さてここからは武田流に「エモい」を解釈してみましょう。
基本的には古語である平安時代の言葉、「あはれ」に近いと感じました。
たいへん感動し、しみじみとした趣を感じたときに、平安の人たちは「いとあはれ」と言った。この「あはれ」に収まり切らない“もっと切ない+α的な感情”が「エモい」というのではなかろうか。
この「あはれ」ですが、鎌倉時代には、その意味が拡大解釈されるようになります。
鎌倉武士は「あはれ」の真ん中に「っ」を入れて「あっぱれ」にした。散っていく桜の花びらは「いとあはれ」だけど、鎌倉武士は負け戦でもなお戦おうとする武士の生き方を「あっぱれ」と喝采した。
物事の「あはれ」から、人間の生き方にまで拡大解釈したんですね。そんな風に日本語というのは時代ごとに新しく創られてきた。
植物の「萌え出づる」から「萌え」になり、「あはれ」から「エモい」になった。日本語にはそうした新造語がたくさんある。日本というのは新しく言葉をつくる文化を持った国なんですね。
マライさんは本書でおっしゃっておりますが、ドイツには「萌え」も「エモい」もない。ドイツでは言語的に定義できないものを言葉にしないそうです。「萌え」「エモい」なんていう感情は“言葉にならない”ので表現しないんですって。
ゆえに、ドイツ人はゲーテやシラーといった何百年も前の中世に生きたドイツ文学の先人たちが現世に出てきて会話したとしても、完璧に理解し合うことができるそうです。昔の言葉が今も通じるのがドイツ語。
これが日本だと、織田信長や土方歳三に「萌え」「エモい」と言ったところで「何言ってんのか分からん」と言われ、へたすりゃ斬られちゃう。それぐらい新造語がどんどん増えていくのが日本語なんですね。
「意味がわからない言葉は言葉として認められない」というのがドイツの文化。つまり“言葉が存在しなければ、その感情は存在しない”。
一方、言語化できない感情を言語にしたがる日本人。
ドイツ人から見れば日本人というのはヘンな人種であり、日本語というのは何ともはや不思議な言語なんでしょうね。
ドイツ出身で、文芸評論に翻訳、コメンテーターなど、幅広く活躍するマライ・メントライ。彼女が日本語の構造や日本人の感性を論じた話題作。鋭い観察眼に、つい、ハッとして唸ってしまう。

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。