■誇張された疑いあり
奈良興福寺の僧が書いた『多聞院日記』で「秋篠の沙弥」と記載されており、お藤が大和の国衆である秋篠氏の娘であるのは間違いない。そのお藤が同じく『多聞院日記』に「大納言(秀長)の御内」とあり、彼女が秀長の妻であったのも事実だ。
しかし、この話の出典は、史料名から分かる通り、江戸時代の地誌であり、信用できない。また、秀長の死後、彼女が尼寺の興福院(当時は弘文院)に入寺していることが確認できるので、出家後に尼となった話が混同され、秀長と尼僧との一夜のアバンチュールといった話へと誇張された疑いはある。
ただ、お藤が秀長の妻であるのは事実だから、彼女が尼僧でなかったとしても、秀長がお藤に一目惚れして妻に迎えたという話までは否定できない。
かつてお藤が秀長の正室と考えられてきたが、そもそも40代半ばまで妻を迎えなかったのが不自然であり、高野山奥之院の秀長供養塔(墓)に隣接する女性の供養塔の法名が「慈雲院芳室紹慶(じうんいんほうしつしょうけい)」と、お藤の法名と違っていることから、その慈雲院(出自不明)が秀長の正室と考えられるようになった。
ただ秀長が愛した女性というなら、以上の逸話のあるお藤に軍配があがりそうだ。
跡部蛮(あとべ・ばん)
歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『今さら誰にも聞けない 天皇のソボクな疑問』(ビジネス社)。