武田鉄矢が、心を動かされた一冊を取り上げ、“武田流解釈”をふんだんに交えながら書籍から得た知見や感動を語り下ろす。まるで魚を三枚におろすように、本質を丁寧にさばいていく。
日本在住のドイツ女性マライ・メントラインさんが書かれた『日本語再定義』(小学館)という本を題材に、我々が当たり前に使っている日本語を深堀りしてまいりましたが、今回が、このテーマの最終回。《#1はこちらから》《#2はこちらから》《#3はこちらから》《#4はこちらから》《#5はこちらから》
今回取り上げる単語は、最終回にふさわしく「隠居」。
私も他人事ではありません。日本人が会話の中でよく使う隠居という言葉について、武田流解釈というスパイスをたっぷり効かせて、再定義していこうと思います。
【隠居(名詞)】
隠居と聞くと、なんとなく縁側の陽だまりで呑気にうたた寝なんぞしている老人の姿を思い浮かべるかもしれませんが、日本では今や老後にのんびり暮らすことが難しくなっております。
マライさんは本書の中で、日本人サラリーマンの知人から聞いたある話を紹介しています。その知人は会社の研修で、定年後の生活について、こんなふうにレクチャーされたんだそうです。
「いまどきの社会構造から見て、老いてもリタイヤ後に隠居して悠々自適に暮らすという目はもうありません。なので、体を壊さず死ぬまで働けるには、どうすべきかを考えましょう!」
切実ですよね。現代の日本では死ぬまで働かないといけない。そのために死ぬまで健康を維持する努力を欠かしてはいけない。
いやはや大変な時代になったものです。かつて「いやあ、のんびり隠居してられないよ。アハハハ」と笑って、そこそこ呑気な隠居生活を送れていた時代の日本が懐かしい。