■吹っ切れた気持ちが奏功して打撃絶好調

 こうして迎えたオープン戦。最初の打席が勝負やった。ここでレフト前に痛烈なヒットを放つと、その後も代打で結果を残した。トータルで7打数3安打、2ホーマー。なんとか開幕1軍の切符を手にしたわけや。

 シーズンに入っても好調は続いた。ただし、この年のタイガースには日本ハムからトレードされた柏原純一、元首位打者の長崎慶一、いぶし銀の弘田澄男とライバルが多く、なかなか出番が回ってこんかった。

 それでも最初の打席で大洋(現DeNA)のエース・遠藤一彦からヒットを打つと、その2週間後には中日のリリーフエース・牛島和彦から試合を決める3ランホームランや。

 前年は1本も出んかったから、もうダイヤモンドを1周することはないかもしれんと覚悟しとった。それがシーズン終了時まで5本も打つことができたんやから、自分でも驚いたで。

 それまで2本打っても3本目が出んというシーズンが3度、1本も打てんシーズンが9度もあった。

 そんな補欠男が5本塁打というのは青天の霹靂や。バッティングを変えたわけでもない。突然、パワーがついたわけでもない。

 理由は気持ちの問題やった。「今年1年、とにかく悔いのない野球をするだけや」という吹っ切れた気持ちがバットの出を楽にしたんやと思う。要するに、19年かけて、やっとのことでバッティングの真髄のようなものが分かったわけや。我ながら、気がつくのがホンマに遅いで(笑)。

 おまけにこの年は、監督推薦でオールスターに出て、ヒットも打ったしな。

 もう思い残すことはあらへん。よっさん(吉田義男監督)からは「もう1年やるか」と言われたけど、未練はない。気持ち良くバットを置くことができた。ええ辞めどきやったと思うわ。

川藤幸三(かわとう・こうぞう)
1949年7月5日、福井県おおい町生まれ。1967年ドラフト9位で阪神タイガース入団(当初は投手登録)。ほどなく外野手に転向し、俊足と“勝負強さ”で頭角を現す。1976年に代打専門へ舵を切り、通算代打サヨナラ安打6本という日本記録を樹立。「代打の神様」「球界の春団治」の異名でファンに愛された。現役19年で1986年に引退後は、阪神OB会長・プロ野球解説者として年間100試合超を現場取材。豪快キャラながら若手への面倒見も良く、球界随一の“人たらし”として今も人望厚い。