■なぜバルセロナで豆腐屋になるのか
次に気になるのが、なぜに豆腐屋なのか?
清水さんによれば、バルセロナにはアジア系の食材店があって、みそやしょうゆなどの調味料とともに、中国人が作った豆腐も売っている。ところが、その豆腐が日本の豆腐とは似ても似つかない。製造日も消費期限もはっきりしないうえに、見た目も硬そうで冷ややっこや湯豆腐で食べることなどできそうもない代物だったんだそうです。
本書には清水さんが豆腐屋になろうとした理由がこう書かれています。
移住というからには何年間も暮らすことになる。最大の問題は食べ物だ。私は豆腐や油揚げ、納豆が大好きで、それらを何年間も我慢することはできそうにない。では、どうするか。いくら考えても答えは一つしか思い浮かばなかった。――バルセロナで豆腐屋になる (清水建宇.『バルセロナで豆腐屋になった――定年後の「一身二生」奮闘記』. 岩波新書, 2025, p.v)
……なんと思い切りがいいことか!
そうは言っても清水さん、豆腐は大好物でも自分で豆腐を作ったことはない。そこで四十の手習いじゃあないが、豆腐作りを一から習う。
2007年秋に定年退職した直後から、清水さんの開業準備がスタートします。スペイン語を覚えるために学校に通い、豆腐屋さんで修業して豆腐作りを覚え、中古の豆腐製造機械や道具を買い集め、バルセロナで店の物件を探し、改装工事を発注。さらに労働居住ビザ取得のための手続きを進めていく。
ここで清水さんを後押ししたのが、初めて日本地図を作ったことで有名な伊能忠敬。千葉県生まれの忠敬は17歳のときに大地主で酒やみそ、しょうゆの醸造、米・薪問屋、廻船業などを営む伊能家の婿養子となり、稼業を拡大して49歳で隠居。
その後、第二の人生で天文学を学び、全国を徒歩で歩いて測量して日本全図を作り上げ、73歳で生涯を終えた。これぞ、まさに“一身にして二生を経る”。
忠敬は時代の激変という奔流にもまれて二つの人生を生きたわけではない。前半生と後半生の生き方は、あくまでも自分で選んだものであり、それぞれを生き切って、みごとに夢を成し遂げた。だから、高齢化社会にあって、忠敬が輝くのだ (清水建宇.『バルセロナで豆腐屋になった――定年後の「一身二生」奮闘記』. 岩波新書, 2025, p.6)
高齢化社会の今だからこそ、伊能忠敬のような一身二生の生き方が求められるのではないか。
こうして清水さんのバルセロナで豆腐屋をやるという大冒険、その名も“豆腐アドベンチャー”が始まります!
元朝日新聞の記者が定年後、バルセロナで豆腐店を開業した。ゼロからの修行の日々、異国の地での苦労、新たな出会いと交流、ヨーロッパから見た日本とは――。人生後半の新たな挑戦を目指す人々に贈るエッセイ。

武田鉄矢(たけだ・てつや)
1949年生まれ、福岡県出身。72年、フォークグループ『海援隊』でデビュー。翌年『母に捧げるバラード』が大ヒット。日本レコード大賞企画賞受賞。ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)など出演作多数。