東北地方を中心に12都道府県で2万2332人の死者・行方不明者を出した東日本大震災。その日から15年が経とうとしている今、東北地方で被災生活を経験した人々が振り返る「あの日の記憶」――。
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「息子が東京の大学へ進学するというので、銀行で入学金を振り込んで自宅へ帰ってきたところでした」
そう語るのは、東日本大震災当時仙台市内の中心部にあるマンションで暮らしており、現在は防災備蓄収納1級プランナーとしても活躍する呉田清美さんだ。
「お昼ご飯を食べていたら、食卓の上のペンダントライトが大きくスイングしながら揺れました。ふと横を見ると、額縁も壁をこすりながら揺れているわけです」(呉田さん・以下同)
刹那、テーブルの上に置いていたマグカップの中身が半分以上床にこぼれ、部屋の四隅からは“ミシミシ”“バキバキ”という音が聞こえたという。部屋が壊れるのではないか、との不安が頭をよぎったという呉田さん。
揺れが止み、恐る恐るマンションの部屋の外へと出てみると、目に飛び込んできたのは廊下に散らばる外壁の破片の数々だった。当時の呉田さんの住まいは15階建て、築6年の3LDK。堅牢なはずの築浅物件にもかかわらず脳裏には“死”がよぎるほどの揺れだったというのだから、周囲の木造住宅や築年数30年以上の物件が地震で甚大な被害を受けたであろうことは容易に想像がつく。
「震災から1週間が経つ頃でしょうか……。緑色のネットが近所のビルを覆っていたんです。外壁が壊れてきていたんでしょうね。赤い紙や黄色い紙で“危険”と書かれた文字が貼ってあって、怖いなと思ったのを覚えています」
東北地方一帯に甚大な被害を及ぼした東日本大震災。呉田さんが暮らしていたのは県庁から歩いて10分ほどの距離にある仙台市の中心部。杜の都ではこの日、震度6強が記録されている。呉田さんも揺れる部屋の中ですでに“異変”を感じていた。
「地震の途中で停電したからテレビは消えちゃうし、水も通らなくなりました。ガスも当然つかないし……。でも、テレビが見られないから情報は手に入らない。津波が沿岸地域を襲ったとか、原発が大変なことになっているなんて、電気が復旧する地震から3日後の夜までわかりませんでした」