東北地方を中心に12都道府県で2万2332人の死者・行方不明者を出した東日本大震災。その日から15年が経とうとしている今、東北地方で被災生活を経験した人々が振り返る「あの日の記憶」――。
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地震発生直後に東北地方の沿岸部を襲ったのは、東日本大震災による津波被害だ。太平洋沿いの地域で多数の犠牲者が出る中、唯一犠牲者を1人も出さなかった村があるという。
その村名は岩手県の普代村。三陸海岸沿いに位置し、太平洋に面する人口2000人ほどの小さな村だ。震災直後の村の様子を当時・普代村役場の総務課・政策推進室・広聴広報係長を務めていた森田安彦氏が振り返る。
「地震が来たときは、海岸から200メートルほどの距離にある村立普代小学校にいたんです。当時は村内で学校統合の話が進んでいて、海の近くだから“津波の危険があるね”といったような話を校長先生としていました」(森田氏・以下同)
すると、後に震度6弱と報じられた大きな揺れが校長室にいる森田さんたちを襲った。広報係長として日々、村の記録をカメラに収めてきた森田さんは、すかさず自身の手元にあったデジタルカメラのシャッターを切ったという。
「この日はたまたま、午前授業で小学校に生徒がいなかったんです。校長室を飛び出して職員室へと移動すると、他の先生方も机の近くで呆然として固まっていて……。人間訓練通りには動けないものだと実感しました」
海沿いにいては危険と判断した森田さんは高台に位置する村役場へと車を走らせた。そこで目にしたのは信じられない光景だったと話す。
「役場の駐車場に止まっていた車が“グワン、グワン”と左右に揺れるんです。地面に止まっているのにですよ。揺れも長いし、これはヤバいなと思いました」