■普代村で犠牲者が出なかった理由

 東北地方の各県に甚大な被害を及ぼした東日本大震災――。これだけの災害に見舞われながら、岩手県普代村ではなぜ地震による犠牲者を1人も出さずに済んだのか。それは普代村の歴史と関係しているという。前出の森田さんが話す。

「普代村では過去に2度、津波による被害があったんです」

 1度目は1896年のこと、村で死者と行方不明者が1000人以上出たとも伝えられる明治三陸地震である。2度目は1933年に村を襲い135名の命を奪ったと報じられている昭和三陸沖地震だ。

「2度の地震を経たことで海岸沿いに高さ15.5メートル、長さ205メートルの普代水門を建設したんです。1984年のことでした。この水門のお陰で津波を防ぐことができたんです」(森田さん・以下同)

 過去の教訓を見事にいかし、村民の命と安全が守られたということだ。県庁所在地である盛岡市と普代村とを結ぶ幹線道路も寸断されていなかったことから、震災から3日後には救援物資も届いたという。一方で、震災後に村役場で働く森田さんたちを悩ませたのは避難所の運営だ。

「村役場で雑魚寝みたいな感じで皆さん過ごしていたので、仕切りだけでもあればプライバシーが守られて居心地が変わるかなと思いましたね。落ち着かないですもん。寝るときは特にあった方が良いですね」