■被災直後に直面した困難とは
救援物資の配布も一苦労だった。
「パンとかがたくさん届いたんですけど、賞味期限が1日とか2日なんですよ。急いで配らないとならないんです。しかも、村民全員に平等に配らないとならないでしょ。避難所や村民の自宅を一軒、一軒、訪ねて配るんですけどガソリンもないし大変なんですよ」(前出の森田さん・以下同)
震災後には村を去り、トラック運転手や建設業などに転身する村民も一部にはいた。そんな環境でも森田さんが希望を失わなかったのには理由があるという。
「仲間の存在ではないでしょうか。震災から2日後に友人からメールが届いたんです。“生きていてください”“大丈夫ですか”と。嬉しかったですね」
外部との交流が生きる力につながったのだ。事実、震災当時の県内の避難所の様子を伝えた週刊誌の報道写真では、誕生日を迎えた子どもが、周囲の人にハッピーバースデーを歌って祝われる光景や、『クレヨンしんちゃん』のような人気漫画を手に笑顔を見せる姿も見られた。森田さんが被災地域でのエンターテインメントの重要性を語る。
「芸能人の方が被災地へと炊き出しに来てくれたりしますよね。ああいうのを見ると“自分たちは見捨てられていないんだ”って思うんですよ。人が来てくれるだけで嬉しいですし、早すぎるとか遅すぎるということはないのではないでしょうか。震災で暗くなっているときに、前向きな気持ちになるだけで“明日から頑張ろう”と思えるんです」
2度の震災を糧に東日本大震災では犠牲者を1人も出さなかった普代村。過去の教訓を生かし、村民全員の命を守った村で働いた森田さんの経験から学ぶことは多々あるはずだ。