■酒浸りでも憎めなかったビートたけし

「俺は山形の田舎者でしょ。相方は浅草の江戸っ子。話していても都会と田舎のギャップがすごくあるわけ。これは田舎者同士より、都会のセンスを持っている奴と組んだほうがいいなと、ひらめいたんだよね」(ビートきよし)

 絶対にテレビに出てスターになると不退転の覚悟で上京したきよしからは、浅草時代のたけしは、どこか自暴自棄に見えたという。

「酒浸りで現場をすっぽかすことは、しょっちゅう。運よく劇場に現れても、大抵は泥酔していてね。あいつの兄貴(北野大氏)は博士でしょ。あいつも本当は兄貴みたいになりたかったんじゃないかな」(前同)

 落ちこぼれて浅草のストリップ劇場でくすぶっている自分に対する、やり場のない焦り。ファンは一向に増えず、ストリップ嬢目当ての酔客に対して悪態をつくこともしばしばだった。

「やっていることはハチャメチャなのよ。劇場の支配人や共演者を怒らせることも多かったし。でも、どこか憎めないところがあってね。ガキ大将が、そのまま大人になったようなところが相方の魅力だった」(同)

 学年はたけしのほうが3つ上だが、芸歴ではきよしが先輩にあたる。相方の可能性を誰よりも信じていたきよしは、辛抱強くたけしをサポートし続けた。

「舞台に出れば面白いのはフランス座時代から分かっていたことだから。ドカンと受けて、その気持ちよさを味わえば頑張れるんじゃないかと思ったの。だから俺はひたすら、あいつのことをおだてて、その気にさせていたんだよね」(同)

 ツービートがお茶の間で市民権を獲得する過程で、きよしの「やめなさい!」という合いの手が果たした役割は極めて大きかった。たけしの毒舌だけだと、漫才が言いっぱなしの暴言で終わってしまう恐れがある。その一方で、きよしのツッコミが入ることでネタにメリハリが生まれ、ネタが立体的になったというわけだ。

 ブームに後押しされるようにして“天下取り”に成功したツービートだったが、80年代半ばに入るとソロ活動が中心となっていく。

「たけしさんは『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)や『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)など八面六臂の活躍を見せるようになります。やがて、その才能が映画界でも花開いたのはご存じの通り。最初から漫才の枠で収まる男ではなかったということでしょう」(前出のスポーツ紙デスク)