■卓越した航海術で活躍した“海人”

『日本書紀』には淡路の海人が、たびたび登場します。読んで字のごとく、海とともに生きた彼らは、卓越した航海術で瀬戸内海を自在に行き来しました。ときには朝廷の交通網を支え、ときには水軍としても活躍したそうです。島国国家の日本で、その重要性は言うまでもないでしょう。

 また、彼らは、青銅器や鉄器などの製造にも長けた、技術集団だったそうです。淡路島からは弥生時代の銅剣や銅鐸などの青銅器がたくさん発見されていますし、弥生時代後期の鉄器の生産拠点とされる「五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)」(淡路市黒谷)も残っています。

 ちなみに、「二ツ石戎ノ前遺跡(ふたついしえびすのまえいせき)」(洲本市中川原町)では、辰砂(しんしゃ)を原料とする“朱”の精製を行った工房跡も発見されています。これは邪馬台国の女王・卑弥呼とも深く関わる発見なんですが、それはまた別の機会に。

 そして、忘れてはいけないのが製塩技術です。四国といえば塩づくりが有名ですよね。香川県・宇多津町はかつて、塩の生産量日本一を誇る、塩の町として栄えていましたし、愛媛県今治市の『伯方の塩』は全国的にも有名です。