武田鉄矢が、心を動かされた一冊を取り上げ、“武田流解釈”をふんだんに交えながら書籍から得た知見や感動を語り下ろす。まるで魚を三枚におろすように、本質を丁寧にさばいていく。
今回が『バルセロナで豆腐屋になった~定年後の「一身二生」奮闘記』(岩波新書・清水建宇著)をテーマに話す最終回。《#01はこちらから》《#02はこちらから》《#03はこちらから》《#04はこちらから》《#05はこちらから》
さて、清水さんがバルセロナで始めた豆腐店ですが、開業から4年目の2014年、異国の文化を正しく持ち込み、豊かな食文化に貢献したということで、なんとバルセロナ市役所から表彰されます。
一から豆腐づくりを学び、右も左も分からない異国で豆腐屋を始めた清水さんの蒔いた種が、バルセロナの地で見事に花開いた。
先にお伝えしておきますと、清水さんは開業10年、80歳を手前に豆腐屋をお辞めになりました。ところが、面白いことに「誰か豆腐屋をやりませんか」と呼びかけたら、すぐに日本から応募が来て、現在はその方が継承されているそうです。今も清水さんの豆腐店はバルセロナに根付いているんですね。
清水さんがバルセロナにいた当時、バルセロナには200軒以上もの日本食レストランがあったそうです。そのうち日本人が経営する店は40軒ほど。残りの8割近くは中華系の人が経営する中華料理店が日本食屋に看板替えしたもの。バルセロナの街の至る所に「SUSHI」の看板がある。
これは私もカナダのトロントに行ったときに経験したけど、寿司屋に入ってメニューを見たら、寿司の下のほうに「餃子」が載ってた。もっとすごいのは「寿司&焼肉」という店もあった。寿司と焼肉を組み合わせるって日本じゃ考えられないけど、世界を股にかけて稼いでおられる中華系の人たちにとって「日本」というのは商売になるんですね。