横綱、親方として、相撲を通じて日本文化や神事に長らく関わってきた貴乃花。自身が体験したことや、本を読んで学んだこと、そして、心に残った“ニッポンの魅力”を、歴史の話も交えながら伝えていく。

 今回は、以前にも触れた邪馬台国=四国説を、改めてひもときたいと思います。過去2回にわたって説明をした通り、古代日本において、四国地方はきわめて重要な場所でした。その前提のもと、四国説をより鮮明に考えていきましょう。

 ご存じの通り、邪馬台国は女王・卑弥呼をリーダーに据えた古代国家です。教科書に載っているので名前は知られていますが、残っている史料は、中国の歴史家・陳寿が編纂した『魏志倭人伝』のわずか約2000字ほどと、実は情報量がとても少なく、今なお多くの謎に包まれています。

 ゆえに現在も国があった場所は特定されておらず、有力視される九州説と畿内説は、なんと江戸時代から議論が続いているそう。

 邪馬台国が存在していたとされる3世紀頃は、九州北部の博多湾沿岸が大陸や朝鮮半島からの交易拠点として栄えていて、他方で、近畿の奈良盆地も日本列島の東西の交易路が集まる要地だったというので、いずれも候補地に選ばれるのは納得できます。