■『進撃の巨人』に自身を重ねる
同じくコンサート会場にいたアローナさん(21歳)は『進撃の巨人』に自分たちの現状を重ねる。高い壁一枚挟んで巨人が襲ってくる『進撃の巨人』の舞台設定は、戦時下のウクライナに当てはまる。巨人に母を殺されて敵を駆逐するための戦いに身を投じる主人公のエレンに、彼女は自分自身が置かれている環境を重ね合わせて多くの共通点を見出した。それはアニメの中でエレンがつぶやいた言葉。
「海の向こうには自由がある。ずっと、そう信じてた……でも、違った。海の向こうにいるのは敵だ。なあ? 向こうにいる敵……全部殺せば……オレ達、自由になれるのか?」
この哲学的な問いを受けた彼女は戦争について、深く深く考えるようになった。
ウクライナで暮らす彼女たちにとってマンガ、アニメとは何か。
「この宇宙において、この問題を抱えているのは私だけではない。少なくとも自分は一人だけではないと感じさせてくれる」
そのことを唯一感じさせてくれるのがマンガでありアニメだという。
こういう話を聞くと、日本のマンガが深い部分で彼女たちを励ましていることが分かります。ものすごいパワーですよね。これぞ、まさしく“新ジャポニズム”なんですよね。
ここで本書に掲載されているエンタメ社会学者の中山淳雄さんのご意見を、お借りします。
なぜ、極東のローカルな国である日本で生まれたマンガが世界の人々の胸を打つようになったのだろうか。
『進撃の巨人』のエレン、『NARUTO』のナルト、『ONE PIECE』のルフィ。MANGAの主人公たちは匿名性が高く、無国籍でどこからきたのかわからない。だから誰もが自分を重ね合わせやすい(NHKスペシャル「新ジャポニズム」制作班.『NHKスペシャル「新ジャポニズム」世界はなぜ日本カルチャーに熱狂するのか』. NHK出版, 2025)
さらにマンガの絵自体にも世界中で受け入れられる理由がある。
MANGAの絵はもともと、子供が読みやすいように、線の少ない簡素な絵で描くことを意識して生まれた(同上)
マンガは簡素化されて極限まで線を控えて描かれた絵。つまり省略された最も簡単な線の組み合わせが特徴です。かつて浮世絵も簡単な線で人や風景を描いた。その浮世絵と同じで極限まで線を控えることによって伝えるべき情報や伝えたい情報だけに簡素化したのがマンガ。中山さんは、それを「空っぽの器」と呼んでらっしゃる。
この空っぽの器が結果として国籍や人種を問わず多くの人々の心にハマるようになっている(同上)