■「長嶋茂雄をずっと演じているのも大変なんだよ」

 そうした天然すぎる一面は、“こ”の札にある10・8決戦のベンチ裏でも。

 相手先発・今中慎二のクセを、チーム内で共有したミーティングでの1コマを、前出のデーブこと大久保博元氏が述懐する。

「スコアラーが、手首の見え方でカーブかフォークかが分かるっていうのを監督も同席するミーティングで話してね。その後、中畑(清)さんがオーダーを詰めに監督室に行ったら、“今中のクセ、分かったか?”って(笑)。

 たぶん、現役時代から、そんなこと気にしたことがなかったんでしょうね」

 感情表現豊かなミスターの姿は、人の上に立つ立場として最高な“モチベーター”だった。

 この試合前には「勝つ!」三唱でチームは結束。球史に残る一戦にも見事、勝利を収めることになる。

「あの試合後、監督は“すごいことが起こったぞ”と三奈ちゃんに電話して、“今夜は一緒に寝てくれ”と頼んだっていうのを、随分たってテレビで知ってね。

 僕らの前では、そんなそぶりは一切見せなかった監督自身も相当、気を張りつめていたんだと、グッと来ましたよ」(前同)

 もちろん勝負に負けるときもある。しかし、結果論を愚痴らないのもミスター。

「こっちが代えたほうがいいと思っているときは、たいてい代えてくれたし、そうしないときには根拠もあった。後から“そういうことだったのか”と明確に分かった試合も数多い。近しい人ほど“長嶋さんは、ちゃんとデータも見ていた”と言いますしね」(前同)

 デーブ氏や、前出の角盈男氏はじめOBらにとっても、ミスターは永遠。彼らの多くが「自分たちの中ではまだ生きている」と口をそろえている。

「報知新聞の番記者に“長嶋茂雄をずっと演じているのも大変なんだよ”と笑って話していたといいます。とにかく、人を楽しませ、ワクワクさせることが大好きな方でした」

 長嶋茂雄は、いつでもどこでも長嶋茂雄だったのだ。

【後編】では、「食」「風呂」「金銭感覚」すべてが型破りだったミスターのプライベートを“名・珍カルタ”で振り返る。ミスターが愛してやまなかった“ブーちゃん”たちとの爆笑エピソードや、心温まる一面も。《【後編】はこちらから》

角盈男(すみ・みつお)
1956年生まれ。鳥取県出身。米子工業高校から、三菱重工三原を経て、1976年のドラフトで3位に指名され、77年に長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツに入団。78年新人王、81年最優秀救援投手に輝く。オールスター出場2回、リーグ優勝で有終の美を飾る。実働15年の通算成績は618試合で38勝60敗99セーブ、防御率3.20。引退後、元祖ベースボールタレントとして活躍するかたわら、ヤクルトの投手コーチを経験し、球団の日本一に貢献。97年には古巣・巨人の投手コーチに就任し、長嶋監督とヤクルトの野村克也監督の下でコーチを経験した唯一の存在でもある。『日本の魔球がメジャーを制す!』(宝島社新書)『野村ノートの読み方~個を再生し、組織を立てる~』(光文社)など著書多数。

大久保博元(おおくぼ・ひろもと)
1967年2月1日生まれ。茨城県出身。水戸商高時代は強打の捕手“水戸の怪童”と呼ばれ、85年にドラフト1位で西武入団。アメリカ留学を経て92年に巨人へ移籍し、同年にはセ・リーグ6月度月間MVP、オールスター出場。通算成績は303試合の出場で打率.249(158安打)、41本塁打、100打点の記録を残し、95年に引退。2001年にはプロゴルファーとしてライセンスを取得。08、10年に西武打撃コーチ。12年に楽天で打撃コーチを務め、13年に2軍監督、14年途中から1軍代理監督、15年に監督。現在は講演、野球教室やゴルフイベントを通し、スポーツの楽しさ、素晴らしさを伝えている。