■勝海舟あっての龍馬
例えば、維新三傑の一人である西郷隆盛は、薩摩藩の下級武士の家に生まれ、11代藩主・島津斉彬に見出され、出世します。
斉彬が、西郷に秘密裏に命令を下すため、庭の手入れ役である“御庭方”に取り立てたという話は有名ですよね。
そういった、下級武士から成り上がった物語も確かに魅力的ですが、私は、それ以上に、西郷を育て上げた、斉彬の指導者の資質のほうに惹かれます。
龍馬も同じです。彼は、土佐藩の下級武士の家に生まれ、27歳で幕臣の勝海舟の弟子になりました。
龍馬の功績として有名なのが、“船中八策”です。議会の開設や官制改革など、8つの政策を掲げたもので、後の明治政府の基本方針となる“五箇条の御誓文”にもつながったとされる、いわば近代日本の出発点とも言える構想です。
ただ、その船中八策も、実は師匠である勝海舟や、佐久間象山から学んだ思想や構想を龍馬なりに整理・体系化したものだといわれています。結局、勝海舟あっての龍馬なんですね。
今や、時代の立て役者として龍馬ばかりが大きく語られ、その陰にいる勝海舟の存在が、いま一つ注目されていませんが、私は、少し残念に思います。
他方で、近年は龍馬の功績に懐疑的な意見も出ています。その中には、「英国の手先として暗躍していた」なんて説も。
龍馬は、1865年、薩長同盟締結の前年に、長崎で、『亀山社中』(後の海援隊)を設立しました。
亀山社中は、倒幕を目的とした政治結社であり、蒸気船を使った運輸業や、軍艦や銃器購入の仲介をする商社でした。