武田鉄矢が、心を動かされた一冊を取り上げ、“武田流解釈”をふんだんに交えながら書籍から得た知見や感動を語り下ろす。まるで魚を三枚におろすように、本質を丁寧にさばいていく。
今回から取り上げさせていただくテーマは「短歌」。
「短歌なんぞ、まったく自分にはなじみがない」なんておっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、ご心配なく。今回は日本語特有の伝統文芸「短歌」を武田流の解釈で三枚におろしていこうと思います。
まず短歌について語る前に、さらに短い「俳句」について触れてみましょう。
テレビバラエティで俳句を取り上げる人気番組『プレバト!!』(TBS系)をご存じでしょうか。夏井いつきさんという俳句の先生が、芸能人が詠んだ俳句を判定するんですが、ゴールデンタイムに芸能人が作った俳句がなんであれだけ視聴者の興味を引くのか。私、武田ちょっと考えてみました。
そこで思い浮かんだのがショートメールやLINEなど、日常的に使われている短い文章でのやりとり。“五・七・五”の俳句形式ではないけれど、短い文章で思いが伝えられる手段というのは、どうやら日本では重宝がられる。そう考えてみると、短い文章、短い文芸というのは、日本人がなじみ親しんだ得意な分野ではなかろうか。
俳句というのは五・七・五のわずか“17文字の世界”で自分の思いを伝える文学。その起源は室町期。俳諧の連歌の発句を基礎とし、それが独立して成立した俳句は江戸期に盛んになった。
俳句のルールとして残っているのは季節を表す“季語”を詠み込むこと。つまり季語を除けば残り“七・五”あるいは“五・五”のたった12文字か10文字の創作になる。それが俳句という文学なんですね。
日本語の言葉には限りがあるので、季語を含めた言葉の組み合わせには、物理的な限りがある。かつてAIが計算したところによると、いずれ俳句は日本語の組み合わせをすべて使い果たして「間違いなく20世紀には滅びる」と言われていたそうです。
ところがこれがAIの計算違いで、五・七・五の言葉の組み合わせはほとんど無限。なぜかというと、季語が新しくできるから。例えば戦前にはなかった季語で「コーラ」や「ビーチサンダル」は、夏を象徴する言葉として季語に近い扱いになった。そうして新しい季語が増えていくと、言葉のガチャポンで組み合わせは無限に広がっていく。
どうやらAIの予想に反して俳句は滅びそうにない。その証拠に『プレバト!!』は今週も続いている。浜ちゃんの「結果発表~!」の声も元気いっぱい茶の間に響いている。