■「ここまでシリーズが続くとは思っていませんでした」
松田 そうだよね。俳優はそこに人生がかかっているから、“この作品で世に出る!”という気持ちで挑んでいます。それを受け止めて応えてくれるのは、すごいことだと思います。
この間、東京都の仕事で、田﨑竜太監督と東映の撮影所内を散策して対談をした時に“『仮面ライダー龍騎』は今後、僕がどんな幸せな現場に恵まれたとしても僕の代表作ですよ”という話をしたんです。
そうしたら監督は、“俳優がそうやって思ってくれるような作品にするのが監督の役割で、そこが1年間の戦いなんだ”とおっしゃっていて。『龍騎』当時は偉大な人と思っていた監督と、大人同士で一緒に話ができるようになったことも不思議な感覚でしたが、監督は監督で当時、若いエネルギーを必死に受け止め、打ち返していたんだというお話も聞けて、とても面白かったです。
――『龍騎』の時代は、井上さんが『ディケイド』を演じた時代に比べて『平成ライダー』のブランドがまだ確立されていませんでした。ここまでシリーズが続いたり、客演があると思っていましたか?
松田 まったく思っていなかったです。それに、当時は事務所からも、“『仮面ライダー』をやると、その色が強くなって今後どうなるか分からない。だから、受けるかどうかは悟志がよく考えて決めて”と言われたんですよ。マネージャーと2人で一生懸命に話し合って、いろいろな資料とか調べて、“僕はどんなイメージが付いても大丈夫です。行きましょう!”と。まだ撮影どころか、第1次オーディシションすら通ってないのに何言ってるんだという感じですけど、撮った後のことばかり考えて動いていました。
『龍騎』の撮影をしていた1年は、必死に突っ走っていたので、あまり記憶に残っていません。『龍騎』をゆっくり観たのもだいぶ後で、こんなに評価された作品だったことに、僕自身は“今”ほっとしている感じです。
なぜかと言うと、僕は姉と母と暮らす母子家庭だったので、家も女性の文化が強くて。全然特撮作品を観せてもらえなかったんですよ。なので、特撮ヒーローに対する憧れみたいなものがなくて。オーディションで周りの人たちが“仮面ライダーになるのが夢”という話をされた時、“あ、俺こういう理想像は持ってないな”と思って。それがどう転ぶのかすごく不安だったんです。
だから、『ギーツ』のプロデューサーが“『ナイト』を観て、業界に入った”とか言われると、ちゃんとバトンを渡せたんだな、とすごく安心しました。20年越しで、やっとほっとした感じです。