■近年では観光にも注力
そんな択捉島には以前、留別村、紗那村、蘂取村という3つの村が存在していた。
元島民とその家族で組織する公益法人・千島歯舞諸島居住者連盟の担当者は話す。
「終戦当時には3608人、739世帯が暮らしていました。温泉地として利用され、湯治場としてにぎわった場所もありましたが、主な産業は水産業で、サケ・マスの孵化事業にも取り組んでいました」
オホーツク海側はサケ・マスの一大生息地として多くの漁獲量を誇っており、島全体の年間漁獲量は約2万5000トン。サケ・マスの人工孵化事業場も9か所あり、北方四島でも屈指の水産拠点だった。さらにはクジラの捕鯨基地もあったのだという。また、太平洋側では海藻類が多く収穫されていた。
「漁期になると根室や函館、本州方面から出稼ぎの人たちがやって来て、人口は何倍にも膨れ上がったといいます。一方、冬は12月初旬に最後の定期船が出ると、翌年5月頃まで北海道との交通がほぼ途絶え、新聞も届かなくなったそうです」(前出の旅行雑誌ライター)
一方、陸上ではこんな産業も。
「択捉島は馬の放牧が盛んで、馬産地としても知られていました。毎年8月ごろには草競馬も行われていました。食生活は、米、味噌、醤油以外は自給自足ができていました」(前出の連盟担当者)
厳しい自然環境の中にも、生活の基盤がしっかり築かれていたことが分かるが、それから80年余りたった現在、択捉島はどうなっているのか。
内閣府の資料によると、2024年1月時点で択捉島には6956人のロシア人が暮らしているそうだ。
「現在も主要産業の一つは水産業です。今回プーチン大統領が訪れた水産加工場『ヤスヌイ』では、サケ類やスケトウダラ、タラ、サバなどを加工しています。また近年では、新たな産業として観光にも力が注がれています。2026年の6月には新しいホテル『カムイ・コタン』がオープンし、7月にはダイビングセンターも開業しました。さらに2028年には新たな宿泊施設の開業も計画されるなど、観光客を呼び込むための整備が進められています」(旅行雑誌ライター)
領土問題のニュースだけでは見えてこないその素顔は、想像以上に多彩だった。