武田鉄矢が、心を動かされた一冊を取り上げ、“武田流解釈”をふんだんに交えながら書籍から得た知見や感動を語り下ろす。まるで魚を三枚におろすように、本質を丁寧にさばいていく。
今週も短歌集『短歌のガチャポン、もう一回』(穂村弘著・小学館)を題材に、武田流解釈で短歌の魅力を語っていこうと思います。
では、さっそくいきますよ!
私たちが暮らす日本という国。その日本の国民性のようなものを直視した歌人がおります。こんな一首を詠まれました。
「だいじょうぶ?」
呪文のように繰り返す
何の役にも立たない言葉
(俵万智)
ご存じ、有名な歌人の俵万智さん。短歌界でナンバーワンに有名な方ですね。
歌集『サラダ記念日』(1987年発行)が大ベストセラーとなった、俵万智さんの一首です。それまで短歌という文学になじみのなかった人たちにも短歌の世界を身近に感じさせてくれました。
この方は実に面白いところに目をつけますね。
私たち日本人はしばしば、安全・安心を確認する意味で「大丈夫?」と、誰彼となく呪文のように繰り返します。
でも、「大丈夫」という言葉は何の役にも立たないというんですね。
聞かれた側が「大丈夫、大丈夫」と繰り返すのは、実は「大丈夫ではない」ということの確認なんですよ。そのことを歌人は直視しているんですね。
「だいじょうぶ?」が「何の役にも立たない言葉」だという指摘に思わず頷く。ただ、それでも、この言葉を口にするしかない局面が確かに存在する。だからこそ、それが「何の役にも立たない言葉」であることから人々は無意識に目を逸らそうとする。だが、この作者はその死角を直視できる。その結果、なんとも突き抜けた身も蓋も無さが出現する(穂村弘. 『短歌のガチャポン、もう一回』. 小学館, 2025=以下同)
選者である穂村さんはそのように解説しておられますが、「大丈夫?」と聞いても、安全・安心のために何の役にも立たないんですから、確かに身も蓋も無い、ある意味ではまったく意味のない問いかけですよね。
国会討論でも、例えば国防問題に関して「大丈夫なのか?」ばっかりですよね。