■“大丈夫ではない”ことの確認
それに対して国防担当の防衛大臣の答弁はというと、「大丈夫じゃないんですよ。だから一生懸命、私たちは国を守らなければいけない」──と、こうなるんですな。
“大丈夫ではない”ことの確認でしかない。
一方、世界に目を向けると政治を任された為政者が「大丈夫か?」と聞かれると、「大丈夫だ」と頑として言い返す国がありますよね。ズバリ言えば、世界の強国。
日本は“強い国”じゃないんで、何の役にも立たない「大丈夫?」を繰り返して確かめ合うしかないんですが、強い国は「大丈夫!」と言い張れる。
でも、近頃の政治経済の状況を見ると、強国もなんだか怪しくなってきましたよね。どこも危なっかしい。「大丈夫!」と自信を持って言えるような国は、どうも世界を見渡してもないような……。
だから私、思うんですよ。“大丈夫な国”って美しくないんですよね。胸を張って強さを自慢する国って、私たち日本人の好みじゃないんですよ。なんだか政治家の顔つきも怖いし、何を言い出すか分かんないし。きっと日本人の感性に合わないんでしょうね。
日本人というのは「大丈夫?」を、しきりに繰り返す弱い国が好きなんじゃないだろうか。弱い国こそが日本の理想ではないだろうか。
“弱い”というのは日本人にとって美しいんですよね。儚いもの、哀れなるもの、そういうものを美しいと感じる。咲いた桜が、わずか1週間かそこらで散っていく。日本人は、その散っていくさまにこそ「美しい」と感じるんですよ。
プラスチック製の造花は、見た目は美しくても、日本人の感性には合わない。弱いとか壊れやすいとか、そちらに価値を求める。
それで私、ふっと気がついたんですが、ワイングラスとかバカラのグラスとか高価なグラスって、店の棚の高いところに置いてあることが多いですよね。逆に安くて壊れないグラスは低い位置に置いてある。理屈からすれば、落ちたらマズいものを低くすべきなのに、あえて逆に置いている。
それはつまり、壊れやすいものを高いところに、わざわざ飾って見せるのが美しいんじゃないだろうか。高級バーでも一番高いグラスを一番高いところに飾ってあるでしょ。もちろん目立つからという意味もあるんでしょうが、潜在的に高さ=儚さ=美しさをつなげて考えているように私には思える。