秋の大一番・ドラフト会議が今年も幕を開ける。紙切れ一枚に泣き、笑った男たちの物語は、昭和・平成・令和と姿を変えながら今も続く。本サイトが総力取材で届ける、プロ野球「愛と裏切りのドラフト」事件史・全2回シリーズ。前編となる今回は、球史を揺るがした昭和の"事件"を総まくりする。
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秋の風物詩、プロ野球ドラフト会議が、今年も10月22日に開催される。
「今年は高校生が“不作”とされるだけに、10月15日にMLB挑戦を正式表明した横浜高・織田翔希(18)の離脱が確定した今、かなり小粒なドラフトになることはほぼ避けられない。
競合必至なのは、山梨学院の“二刀流”菰田陽生(こもだ・はるき)(17)。鈴木泰成(22)&渡部海(22)の青学大バッテリーぐらいじゃないですか」(スポーツ紙アマ野球担当記者)
そこで今回は、球史を揺るがした昭和のドラフト事件を振り返ろう。
大注目の織田が“令和の怪物”なら、昭和のそれは、なんと言っても江川卓。
ドラフト前日だった1978年11月21日。いわゆる“空白の1日”に電撃発表された「江川、巨人と契約」の報は、日本中を巻き込む大騒動へと発展した。
「猛批判を受ける中、巨人は翌日の会議をボイコット。前年のクラウンに続き、今度は4球団競合の末、阪神が江川を1位で指名した。
最終的には巨人エース・小林繁とのトレードで決着を見ましたが、阪神側も指名した時点では、少なからず勝算もあったようです」(スポーツジャーナリスト)
これには、騒動当時の阪神選手会長でもあった江本孟紀氏も、こう言う。
「彼は法大の後輩でもあるけど、私自身は“わざわざ獲らんでも”とは思っていた。
ただ、当時のチーフスカウトも法大出身。向こうにも焦りはある、との読みもあった。まぁでも、エースを出してでも獲りたい事情が読売側にあった、というのが実際でしょう」
だが、一連の騒動で“悲運のエース”となった小林の人気は一躍、急上昇。
高知空港からキャンプ地の安芸へと向かう一本道の国道では、江本氏いわく、「それまで見たことがなかった」大渋滞も発生した。
「端で見ても、小林の気迫はすごかったよ。対巨人戦では特に、江夏と私のシーズン7勝を塗り替える8勝。
あれで球史に名を残す大スターになったわけだから、移籍は不本意だったにしても、差し引きではトントンかもしれないよね」