■『荒川事件』、KKコンビの明暗
巨人を巡る騒動では、69年ドラフトで大洋の1位指名を拒否した早大・荒川堯(たかし)が、暴漢に襲撃された『荒川事件』も記憶に残る。
荒川は、幼い頃から巨人・荒川博コーチの薫陶を受けて、後に養子縁組までした秘蔵っ子。養父直伝の一本足打法で“右の王貞治”との呼び声も高かった。
「結局、本人は渡米して浪人の道を選ぶも、意中の川上巨人は振り向かず。翌年のドラフト前に、いったん大洋に入団した後、トレードで第2希望だったヤクルトに入りました。
ただ、事件の後遺症もあって視力が大幅に低下。わずか5年で引退を余儀なくされています」(スポーツジャーナリスト)
一方、85年のドラフトでは、甲子園を席巻した清原和博&桑田真澄の“KKコンビ”が、巨人入りを巡って明暗分かれる結果になった。
早大進学とされた桑田の突然の翻意により、大の巨人ファンで“相思相愛”と目された清原が、涙をのむことになったのだ。
同時代のパ・リーグで清原と同じ一塁手だった元ロッテの愛甲猛氏はこう話す。
「高校の時点で、あれほど完成していた打者は後にも先にも彼だけ。プロ1年目こそ、彼のピークと言ってもいい。その意味では、巨人じゃなく西武に入ったのは彼にとって、むしろ正解だったとも言えるよね」
ちなみに、盟友の思いを知る一方の桑田も、「指名してくれなくてよかった」と漏らすなど、ドラフトでは“大人”に翻弄された側。
巨人が桑田の指名に傾いた背景には、子息が立浪世代のPL野球部でもあった伊藤菊雄スカウトの猛プッシュがあったという。
「甲子園後の国体で投げたカーブに、伊藤さんはゾッコン惚れ込んだ。当時、監督だった王さんとしては欲しいのは当然、清原。舞台裏では、表にはけっして出てこないせめぎ合いも、おそらくあったはずですよ」(元スポーツ紙デスク)