■"大豊作"68年ドラフトの光と影

 そんな悶着続きの巨人の歴史からすると、4球団競合の末に、長嶋茂雄監督との蜜月を築いた松井秀喜は、かなりのレアケースか。

 当の松井自身は、掛布雅之に憧れる生粋の阪神ファンだったというだけに、ヘタに「拒否」などしないほうが本人のため、という見方もできそうだ。

「私の1学年上、“空前の大豊作ドラフト”と呼ばれた68年のドラフトでも、意中の球団に指名されたのは、広島に入った山本浩二さんぐらい。盟友の田淵幸一さんだって、本当は阪神じゃなく、巨人を熱望していたわけだしね」(江本氏)

 実際、同年のドラフトでは、明大・星野仙一も、「田淵が獲得できなかった場合は1位でいく」との口約束を巨人に反故にされて、縁もゆかりもない中日に。

 替わって1位指名を受けた武相高・島野修の名を聞いた彼が「ホシとシマの間違いじゃないのか」と激怒したとの逸話は、今も語り草になっている。

「星野さんは、監督時代の91年にイチローの指名を逃した際も大激怒。担当スカウトは飛ばされたとも聞いている。ただ、仮に中日入りしても、たぶん振り子打法は生まれなかったと思う。

 そこでイチローが活躍すれば、今度は山﨑武司のブレイクもなかったはずだしね」(愛甲氏)

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 後編では、史上最多8球団競合の末に近鉄入りした野茂英雄、巨人の"拒否"事件史、そして栄養費スキャンダルまで、平成のドラフト暗闘を徹底解剖する。《後編を読む》

愛甲猛(あいこう・たけし)
1962年生まれ。神奈川県逗子市出身。横浜高校時代、夏の甲子園に2度出場し、“甲子園のアイドル”として絶大な人気を誇る。80年にドラフト1位でロッテに入団し、84年から野手に転向。89年には打率3割をマークし、一塁手としてもゴールデン・グラブ賞を獲得。西武時代の秋山翔吾に破られるまで、愛甲の535試合連続フルイニング出場がパ・リーグ記録だった。96年に中日に移籍し、2000年に現役引退。現在は野球評論家として活躍中。

江本孟紀(えもと・たけのり)
プロ野球選手として活躍後、現在はプロ野球解説者として活動。クラブチーム「京都ファイアーバーズ」の立ち上げや、タイ王国ナショナルベースボールチーム総監督として北京五輪アジア予選に出場するなど、野球界の底辺拡大と発展に尽力。著書『プロ野球を10倍楽しく見る方法』(KKベストセラーズ)はベストセラーとなる。