2022年10月1日、稀代のプロレスラー・アントニオ猪木(享年79)がこの世を去った。猪木は常に「対世間」を掲げ、プロレスというジャンルに市民権を与えようと、文字通り、格闘してきた。

 他のプロスポーツのように一般紙が報道することもなく、アマスポーツのように五輪があるわけでもない。格闘技でもスポーツでもないこのプロレスの魅力を世間に訴えてきたその言動は、一介のスポーツ選手のそれとは違う、謎をまとっていた。

 我々、プロレスファンは、猪木から何を学び取ってきたのか。新聞14紙を読み比べ、スポーツ、文化、政治と幅広いジャンルからニュースを読み解く異色の芸人・プチ鹿島(53)が30年以上に及ぶプロレス観戦から学びとった人生を歩むための教養を、余すところなく披瀝したベストセラー『教養としてのプロレス』に続く、新たなる“思想書”『教養としてのアントニオ猪木』(ともに双葉社)。

 猪木が大好きだった。でも猪木のことはわからなかった――そんなプチ鹿島が途方もない時間をかけて見てきた猪木を書いた『教養としてのアントニオ猪木』では、猪木が病床の姿をなぜ晒し続けたのか、「ヤラセ」と「ヤリ」の違い、ムツゴロウさんこと畑正憲氏(享年87)と猪木の近似性、連合赤軍と新日本プロレスなど、独自の目線から猪木やプロレスが語られる。

■アントニオ猪木が病床に伏していた姿を晒したワケ

※以下、『教養としてのアントニオ猪木』から一部抜粋。

 本当に好きな人が亡くなったら何から語っていいかわからない。

 2022年10月1日以降、しばらくの間、言葉数が少なくなった方も多いと思う。私もそうでした。猪木が死んでしまったのだ(少年時代から呼んでいた「猪木」と、敬称略で書かせていただきます)。

 猪木は亡くなる直前までYouTubeでも「世間」という言葉を使っていた。プロレス対世間は猪木の人生だった。病状をすべて晒していた姿に、ファンからは称賛の声が多かったように思う。考え方を変えてみると、病魔と闘う姿を我々に見せていたのかもしれない。世間に対し「ほら、オレはいつだって真剣勝負だぞ、命を懸けているんだぞ」という姿を見せつけていたと解釈したい。