■あきらめかけた頃に猪木は感動的な勝負をみせる

 人間はいつか必ず死ぬ。私はこれまで「病魔に負ける」とか「力尽きる」という表現にどうしても納得ができなかった。それなら、人間は最後には必ず、負けるということか? 死という結末は決まっているのだから、私たちは全員「負け」なのか? と。

 しかし、ここでも猪木は大事なことを教えてくれていた。

 猪木を見て学んだことの一つに「過程(プロセス)の大切さ」があった。プロレスは試合結果も大事だが、試合の内容や過程こそが大事だと学んだ。過程(プロセス)に興奮できるかどうか。

 たとえば1984年6月14日に行われた第2回IWGP決勝戦のハルク・ホーガンVSアントニオ猪木。前年の同対決は猪木の「舌出し失神KO負け」という結末だったので、ファンは今回こそ猪木のスッキリとした勝利を期待したが、結果は長州力の乱入という不透明なものになった。猪木は観客を裏切った。「もう猪木はダメだ」とファンは怒り悲しむのだが、あきらめかけた頃に猪木は感動的な勝負をみせるのだ。

 ホーガン戦の約1カ月半後に行われた長州力戦(8月2日)。荒れた試合になるかと思いきや、序盤はしばらくグランドレスリングの攻防で観客を唸らせた。長州が得意技のサソリ固めをかけると猪木は何分間も耐えた。さらに後半では猪木が見事なブリッジを見せ、長州がそのまま猪木の上に乗ってもびくともしないシーンがあった。解説の櫻井康雄氏は「うーん」と声にならない声をあげ、「私はね、本当にね、猪木が戻ってきたというね、そういう実感を味わっていますね」と感無量につぶやいてお茶の間の感動を誘った。

■猪木は「今回も」過程を見せてくれた

 もうダメだと言われると、手の平を返すように忘れられない名勝負をする猪木。こういう猪木を見ていたら、答えをすぐに出すのではなく過程(プロセス)もしばらく見続けようと思ったのだ。何度こんな気持ちにさせられたか。

 そう考えると猪木は「今回も」過程を見せてくれたのではないか。結末があろうがなかろうがそんなもの関係ねえよ、という。生きているこの一瞬一瞬こそが大切なんだよ、という。猪木らしいプロセスにこだわるプロレスだったのだと私は受け止めた。そういう真剣勝負を猪木は見せてくれたのではないだろうか。

 訃報を伝えるニュース番組では、1976年に行われた「猪木・アリ戦」を取り上げる番組が多かった。ボクシングの世界チャンピオンであったモハメド・アリをリングに上げて戦った偉大さを伝えていたのだ。またしても、猪木アリ戦は注目された。私も再度、当時の報道を調べなおしてみた。あの試合を目撃した著名人は、どう評したのか興味深かったのである。今でこそ総合格闘技という概念は普及しているが、そんな発想がない時代に突如提示されたあの試合に、何とコメントするか? これこそに、その人の持つ「モノを見る眼」がわかる気がしたのだ。では幾人かのコメントを紹介しよう(参考『G SPIRITS・12号』辰巳出版)。