■「どうなるかわからない命懸けの瞬間が好き」
小学生の私はあの番組を「動物王国の温かい生活」という目線で見ていたが、基本コンセプトは動物との危険な触れ合いだったのだ。それにしても畑正憲氏はなんでそんな危険なことをやろうと思ったのだろう? 動物の専門家としての探究心は当然あるだろう。
一方で私が注目したのは、ムツゴロウさんのギャンブラー体質だ。麻雀や競馬好きというのはよく知られた話である。むしろそっちの顔こそが、人間「畑正憲」の実像なんだろうとなんとなく感じていた。インタビューではギャンブルの魅力も語っていた。
《僕は、どうなるかわからない命懸けの瞬間が好きなんですよ。たとえば競馬なら10万円くらいの馬券を買って、胸のポケットに入れてレースを見るんです。その馬が勝って500万円くらいになれば、もうしばらく競馬ができる。それを考えたら、頭がパーっとなるんですよ。(略)競馬の話をすると「いくら勝ったんですか?」と聞く人はよくいるけど、そんなことはどうだっていいんですよ》(畑正憲)
つまり、畑氏は金儲けより「どうなるかわからない命懸けの瞬間が好き」なのだ。勝負師と呼べば聞こえはいいが重度の変態と言っていい。普通の人は決してマネしてはいけない行為だ。そう、普通の人はマネしようとすら思わない。だからお茶の間から見てるのが一番いい。その究極が「猛獣との触れ合い」であることにも気づく。
もしかしたら、畑正憲氏はテレビで成功するには「誰もマネできないことを見せつける」ことだと知っていたのではないだろうか? 昭和のお茶の間、つまり安全圏から人々は何を見たいのかということをわかっていたのではないか?
それは同時に、本人にもたまらないギャンブルでもあった。競馬で大金を賭ける以上に猛獣と触れ合ってみせることは「命懸けの瞬間」だからだ。盛り上がるほどテレビの呼び物にもなる。生還したときのリターンが大きい。そしてその賭けに畑正憲は勝ったのだ。それが『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』の正体ではなかったか。「作家・畑正憲」だけでなく「テレビスター・ムツゴロウ」としても大化けしたのである。
■パキスタンの英雄・ペールワンとの伝説の一戦
さて、ここでどうしても思い出してしまうのがアントニオ猪木なのである
例えばあの一戦。猪木は1976年12月12日、パキスタンで現地の英雄アクラム・ペールワンと戦った。この年の6月にモハメド・アリと戦って有名になった猪木には、世界中から試合のオファーが届いていた。猪木もアリ戦でできた借金返済のためにオファーを受けた。
アリと戦った男・猪木に勝てば自分の名声はさらに高まる。そんなペールワンは、猪木にリアルファイトを仕掛けたというのが定説である。当時セコンドについていた藤原喜明は言う。
《あそこの会場(カラチ・ナショナルスタジアム)は普段はポロの競技場だから、控室が馬も入れておけるコンクリート打ちっぱなしの広い土間でね。猪木さんはそこにひとりで座ってて、『クソッ! なんで俺がこんなことやらなきゃいけねえんだ!』みたいなことを言ったりして、すごい機嫌が悪かったよ。でも、試合が近づくにつれて何もしゃべらなくなって、たぶん自分を追い込んだんだろうな。そうやって覚悟を決めて出ていったんだよ》(堀江ガンツ・Number Web・2022年11月16日)
では試合はどうなったか? 仕掛けられた猪木はなんとペールワンの目を潰し、肩を脱臼させたのである。こういう異常な試合が結果的に今日の総合格闘技への発芽になり、猪木は天才的なプロレスラーであるにもかかわらず、総合格闘技発祥のシンボルにさえなった。