■猪木本人による試合の解説はえげつない
藤原喜明は今でもこう語る。
《俺はあの試合のビデオをもらったんだけど、いまだに観てねえもんな。怖くて観れないんだよ。あの時のいや〜な緊張感が、記憶によみがえりそうでさ》(前同)
パキスタンでの一戦は、私たちもDVD等で見ることができる。あらためて見てみると、帰国後の猪木によるスタジオでの解説音声も収録されているのだが、どこか紀行モノ風でのんびりとした空気なのだ。しかし、当の本人による試合の解説はえげつない。
「んー、鼻の下をえぐるようにしてます」
「目をついたというアピールしてますけど、私も手首を噛まれましたからね」
第3ラウンド。これなら十分いける、このラウンドが勝負と思ったという猪木は早々にペールワンの腕を極める。
「このままいきますと骨が折れちゃいますね?」(実況)
「ねえ。ギブアップしないんですよね。しょうがなくて思いっきりやったら肩がガバーっと
……」(猪木)
「ここで骨が折れちゃったわけですか」(実況)
「これ以上やったら折れるぞとレフェリーにアピールしたんですけどね」(猪木)
■猪木とムツゴロウさんの解説は「そっくり」
凄惨なシーンなのにのんびり。なんだろうこのギャップは。ここで思い出した。『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』のムツゴロウさんの「解説」とそっくりなのである。視聴者は猛獣との触れ合いにドキドキしているのに、本人はあっけらかんとしてどうってことないというあの雰囲気と。
別の言い方をすればこうも言えまいか。猪木もムツゴロウも、あえてあっけらかんと語ることで自らの存在の大きさを見せているのではないか? それはある種のハッタリかもしれないが、危機的状況から生還した人だけが行使できる権利であることは間違いない。修羅場をくぐり抜けた人だけができる特権なのである。お見事としか言えない。
試合後のリング上の描写もほのぼのしていた。
「猪木さん『折ったぞ』と言ってますね」(実況)
「ほんとにー、悲惨な試合になってしまいましてですね」(猪木)
最後までゆるやかだったのである。こうして振り返ると、当時のテレビには猛獣たちがゾロゾロいた。彼らは視聴者に、その異形な存在感を見せつけていた。皆に共通するのはあんな人は日常にはいないというファンタジー性でもある。そんな猛獣たちがゴールデンタイムに日替わりで出ていたのだから、80年代のテレビはジャングルそのものにも思えてきたのである。
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猪木は死んだが、猪木を語ることはこれからもずっと続く。アントニオ猪木を好きになるとはそういうことだ――。
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