■三成の最期は描かれず、家康との対話で終了

 小早川の決断が要因で西軍は敗北。そこから時間が進み、西軍サイドの武将のその後がナレーションにダイジェスト気味に説明された後、場面は慶長5年(1600年)9月22日、近江・大津城へと飛ぶ。家康と三成の最後の対面である。

 家康は同じ「戦なき世」を夢見ていた三成が「死人は8000人を超える、未曽有の悲惨な戦」を起こすまでに変わってしまったのかを尋ねるも、三成は「私は変わっておりませぬ。このわたくしの内にも、戦乱を求むる心が、確かにあっただけのこと」と一蹴。

 そして、家康に「うぬぼれるな!」と叫び、

「この悲惨な戦を引き起こしたのは、私であり、あなただ。そして、その乱世を生き延びるあなたこそ、戦乱を求むる者。戦なき世など成せぬ。まやかしの夢を語るな!」

 と吐き捨て、それを聞いた家康が「それでも、わしはやらねばならぬ」と別れを告げる――という場面で、第43話は終了。三成の最期は「石田三成 京・六条河原にて斬首」のテロップで記され、直接的な処刑シーンは描かれなかった。

 石田三成には処刑直前に、警護の侍に喉が渇いたので水を所望したところ「水はないが、柿がある。代わりにこれを食せ」と言われ、三成が「柿は痰の毒であるのでいらない」と答えたというエピソードがあるが、今回の『どうする家康』では描かれなかった。『どうする家康』の三成は良くも悪くも真っ直ぐな男だったため、

《やっぱり七之助さん演じる三成がとてもよかった…。佇まい、好戦心、悲しみ、家康に向けた怒り憎しみ、最後まで失わなかった矜持この三成なら柿は食べないな》
《あれだけ真っ直ぐな三成だったら、最後に柿じゃなくて意地でも白湯にしただろうなって納得》

 と、好意的な声も多い一方で、

《密かに三成の柿エピ待ってたんだけどな笑》
《どう家、小早川への発砲も無ければ三成の柿もないのぉ…》

 と、物足りなさを感じている視聴者の声も寄せられている。