■県議会でも「ダさいたま」の呼称が話題になり……
しかし、40年前、県が良かれと思って広報誌を使って開催した討論会は、県議会へと飛び火する。
「広報誌が発行された後の1984年3月に県議会で“ダさいたま”という呼称が取り上げられたのです」(前出の埼玉県・広報課担当者)
どういったやり取りが県議会では繰り広げられたのか。それを調べるべく県庁の隣にある県議会の議会図書室に弊サイト記者は向かった。議会議事録を見てみると、自由民主党に所属していた片貝光次県議会議員の口から「ダさいたま」に関する質問が飛び出たのは84年3月12日の定例会でのことであった。
当時を知る県政関係者が話す。
「片貝先生は、法政大学経済学部を中退後に岸信介元首相の秘書を務め政界へと足を踏み入れた苦労人。県議として3期在職した後に、落選しましたが地元である本庄市の市長選へと出馬したほどです。郷土愛が強かったんでしょうね。議会でも強く批判していました」
当時の議事録を見ても片貝元県議は知事に、“ダさいたま”という呼称をマスコミに使わないようにお願いすべく、対外活動を行なうべきと猛抗議。なぜ、そこまでの発言に至ったのか。
「当時はテレビで、農村地域ですらすでに使用していない下肥かつぎのジェスチャーを交えて埼玉を笑いのネタに変えるタレントもいたほどです。年配の新聞購読者の中には、抗議の意を込めて“埼玉はダサくない”と投書する人もいました。片貝先生は川越市と秩父市の間にある鳩山町の出身ですし、地域の人の声が耳に届いていたのでしょう」(前同)
40年の時を経て再び注目が集まる「ダさいたま」。12月1日の広報誌に掲載される県民の声は、どのようなものになるのか――。