まさに、突然の死だった――。

 1980年に『雨の慕情』で日本レコード大賞を獲得するなど、多くのヒット曲で日本社会を長きにわたって盛り上げてきた歌手の八代亜紀さんが亡くなっていたことが、事務所のHPを通じて1月9日に公表された。亡くなったのは2023年12月30日のこと。73歳だった。

 スポーツ紙記者が話す。

「八代さんは23年8月に膠原病を患っているとして活動休止を発表。闘病を続けている最中でした。活動休止に際し、

《少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆さまとお会いできる日を楽しみに頑張ります!》

 とコメントを出しており、復帰を待ち望むファンも多かったのに残念ですね……」

 年末の風物詩である『NHK紅白歌合戦』には1973年に初出場。『なみだ恋』を歌った初舞台から数えて23回も出場している。

※画像は八代亜紀の公式インスタグラム『@aki_yashiro』より

■箱根の別荘では陶芸活動に没頭

 そんな八代さんの思い出を97年1月にリリースされた73枚目のシングル『ミスター サムシング ブルー』の作詞を手掛けた、作詞家・翻訳家の湯川れい子さんが語る。

「八代さんは、事務所も兼ねた自宅を都内の目黒区八雲に構えていたので、お互いのお家が近くって。アメリカのJAZZを2〜3曲、八代さんのために訳詞したこともありますよ。彼女が23年8月に青山にあるジャズクラブ・ブルーノート東京に立たれた時に、私が訳詞した曲を歌われていたのは、とても良い思い出です」

※画像は「ブルーノート東京」の公式X(旧ツイッター)『@BlueNoteTokyo』より

 湯川さんの自宅と八代さんの自宅は車で5分ほどの距離だったが、年を重ねるにつれ、徐々に顔を合わせる機会も減っていったという。それでも10年ほど前までは、お茶をともにする間柄だった。

「箱根に別荘を持たれていて、そこには陶芸の窯もあったんです。94年に結婚された5歳年下で八代さんのマネージャーを務めていた旦那さんの趣味が陶芸だったんですね。八代さんも別荘では、趣味である絵を描いたり、旦那さんと一緒に陶芸を楽しまれていましたね」

 湯川さんが八代さんと最後に会ったのは8年前。在京テレビ局の廊下ですれ違ったという。

「たまたま会いまして。お互いに“元気?”と言葉を交わしました。当時は体調も万全で、まだまだ現役で頑張ろうという意気込みを感じましたね」