武田鉄矢が、心を動かされた一冊を取り上げ、“武田流解釈”をふんだんに交えながら書籍から得た知見や感動を語り下ろす。まるで魚を三枚におろすように、本質を丁寧にさばいていく。

 大河ドラマ『べらぼう』の主人公“蔦重”こと蔦谷重三郎をテーマに語っておりますが、今回が、このテーマの最終回。まずは前回に引き続きまして、蔦重が中心となって巻き起こした狂歌ブームについてのお話から。

 蔦重が江戸に狂歌ブームを巻き起こした安永から天明初期にかけては、今でいう“バブル景気”でした。そうした自由闊達な世相にも乗って、出版文化の花を咲かせた蔦重ですが、天明期に入って少したつと、世の中の情勢が変わってまいります。浅間山噴火、小田原大地震、みちのく大飢饉、米不足による打ち壊しや一揆などが起こり、次第に世相は荒れていきます。

 天明六年(1786年)に老中・松平定信による質素・倹約を重んじる「寛政の改革」が起こります。しかし蔦重のすごいところは、幕府の引き締めを笑い飛ばすかのように、それでもまだ娯楽本の黄表紙や、おふざけ本の狂歌集を出し続けたこと。

 その中で狂歌界のスター・大田南畝は、こんな狂歌を残しております。

『びんぼうの 神無月こそめでたけれ あらし木がらし ふくふくとして』

 これを武田流に訳させていただくと、こうなります。

「神無月(10月)になったから、ありがたいことに貧乏神も今月は出雲のほうに行っているはずだ。なんか、いいことあるぞ。ほら、よく聞いてみろ。嵐や木がらしが吹いてるけど、風の音が“福福”と聞こえて、“いいことあるぞ、いいことあるぞ”と吹いているぞ」

 これは一種の強がりですよね。貧乏を陽気に笑い飛ばす。こんな句を詠んで、南畝や蔦重は世の中を面白がりつつ、世の人々を励ましていく。だからこそ庶民たちにも熱狂的に支持されたんですね。