今、熱きストーブリーグ真っ盛り!ファンをざわつかせた球界の事件を総まくり。騒動は、オフに起こる!
球団の身売りや、契約更改での“銭闘”など、球場外で起こる、あれこれもストーブリーグの楽しみ。 今回は、オフの衝撃事件を回顧。関係者の証言と共に、その舞台裏に迫りたい。
真っ先に思い浮かぶ“揉め事”と言えば、本サイト御意見番・江本孟紀氏の「ベンチがアホやから野球ができへん」発言だろう。
この発言が飛び出したのが、81年8月26日、甲子園でのヤクルト戦。 同年オフの唐突な江本氏の引退を、野球ファンの多くは、舌禍が招いたものと受け止めたが……。
「前年オフから引退の申し入れを実はしていた」と当の江本氏が、こう明かす。
「“強くなる”と確信が持てたブレイザー体制が、わずか1年余りで瓦解し、私自身の目標だった10年連続2ケタ勝利も8年で途絶えた。そこで糸がプツンと切れてしまったんです」
代わって監督に就いた中西太は、実績こそ申し分ないが、野球観は旧態依然。 南海時代から信頼を置くブレイザーに期待を寄せた江本氏は、その先祖返りに心底、失望したという。
「あの試合は1点リードの9回2死にピンチを迎えて、内野陣がマウンドに集まった。そこで指示を仰ごうと、ベンチを見たら、肝心の監督がそこにいなかったわけ。
それで積もりに積もったものが一気に出て、ベンチ裏での一連の騒動につながった。だから、引退の直接的な要因は、発言そのものではなかったんだよ」(前同)
その後、球団側からは慰留を受けるも、江本氏は自ら望んで、任意引退を選択。 選手生活は実働11年と短かったが、いわく「未練は一切なかった」という。
「ドラフト外での入団だった私は、同期入団の中でも最後の120番目の選手。そのわりには上等だったと自分でも思えたからね。
まぁ、ブレイザーにあと数年任せていたら、阪神は間違いなく強くなっていた。暗黒時代どころか、黄金期もありえたと思うよ」(同)
とはいえ、80年代の球界には、選手がモノを言える雰囲気はまだなく、力関係は圧倒的に球団が上。 三冠王の落合博満が中日移籍後に見せた“銭闘”がなければ、選手の地位向上はさらに遅れていただろう。