チームの命運を握るのはいつの世もリーダー。球史に名を残す男たちの“忘れがたき背中”をプレイバック!

 2025年で、野球ファンの心に一番残っているのは長嶋茂雄氏の逝去だろう。

「選手としてだけでなく、監督としても個性的。監督生活は通算15年にも及び、現役時代を知らずとも、監督としての振る舞いに魅了されたファンも数多い」(スポーツ紙デスク)

 今では、すっかり減った個性派監督。今回は、昭和・平成のプロ野球を彩った名将たちを回顧。当時を知るOBや関係者たちの証言から、古きよき、あの頃を懐かしんでいきたい。

 まずは現役時代同様に球場を沸かせた、長嶋茂雄&王貞治の“ON”から。

 監督時代のミスターと言えば、“カンピュータ”とも称された天才的な勝負勘でもよく知られている。

「甲子園での活躍にビビッと来た長嶋さんの後押しがなければ、後に“チームの顔”となる篠塚和典や松井秀喜の獲得はなかった。

 V9後の巨人が変わらず強さを維持できたのも“地獄の伊東キャンプ”で次代の若手を鍛えたから。選手の能力を見抜く眼の確かさは“本物”でした」(前同)

 他方、1984年から5年務めた巨人監督時代の王は、現役時代と同様の実直さ。采配面では、鹿取義隆-角盈男(当時:三男)-サンチェの必勝リレーで時代を先取り、選手たちとも真正面から向き合った。

 その一人、角氏が言う。

「プロ2年目のキャンプで同部屋になったときも“先に寝ていいからな”と声をかけてくれたほど、王さんは気遣いの人。でも、当時の私らに“世界の王”は雲の上の人。“監督室は開けておくから、いつでも来いよ”なんて言われても、なかなか行けないよね(笑)」

 雨天中止が決まったある日。当時の巨人では、試合が雨で流れてもリリーフ陣はブルペンで投球練習をするのが慣例だったという。

「私らが投げていると王さんが自ら打席に入って、球筋を見極めてるわけ。監督がいる以上、自分から“上がります”なんて言えないよ。

 で、結果、投げすぎちゃって、翌日の試合に支障をきたす。“昨日、あんなに良かったじゃないか”って、私にしたら“それは監督のせいですよ”って(笑)」

 一方、巨人と訣別した後のダイエー監督時代には、意外なまでに激情家な一面も見せている。