■星野と落合の正反対な監督像

 そんな“ノムラの遺産”を受け継ぎ、見事に猛虎復活を成し遂げたのが、きっての“闘将”星野仙一。

 中日監督時代には、容赦のない鉄拳制裁でも知られたが、こと阪神では持ち前の人心掌握術をフルに駆使して、うるさ型がそろう関西メディアを懐柔した。

「キャンプ中は、星野さんの“食べさせたれ”の一声で、番記者たちにもホテルの朝食が振る舞われた。用事もないのに、朝だけは食べに来ていた記者もいたはず」

 そう話す藪氏も、先発陣の一角として星野流の“掌握術”を体験した一人。

 不本意なタイミングでの降板時には、すかさず、こんな声が飛んだという。

「こちらの内心を見透かすように“ちゃんと勝ち星はつけたるから安心せぇ”とかって言うわけよ。自分も投手出身だから、投手心理の機微はよく分かってる。

一応はコーチにも意見を求める野村さんと違って、星野さんは何をするにも一人で決める。だから決断は、すこぶる早かったよ」

 一方、中村武志や山崎武司ら多くの主力が“血祭り”に上げられた中日時代の星野の鉄拳を、チームで唯一食らわなかったのが“不仲説”もあった落合博満。

 後に中日監督となる落合は“人たらし”の星野とは正反対な情報統制を貫いた。

 前出の角氏とは、こんなやりとりもあったという。

「巨人最終年だった落合さんに、新横浜だかで偶然会った際に“来季コーチで呼ぶらしいぞ”と言われてね。寝耳に水だったから、話半分に聞き流してたら、後日、本当にオファーが来た。監督時代に情報漏れに敏感だったのは、自分が誰より情報通だったからかもね」

日ハム・新庄剛志監督
日ハム・新庄剛志監督(c)スポニチ

 一方、そんな歴代の名将たちの“いいとこ取り”で、球界に新風を吹き込んでいるのが、日ハムを率いて来季で5年目の新庄剛志監督。

 ブラフ混じりの積極的な発信は、先の落合や同じく秘密主義を採用する阪神・藤川球児監督とも好対照。

 鉄拳に頼らず選手を乗せるモチベーターとしての一面は、闘将・星野を超える能力とも言える。

「でも新庄監督のベースは、やはり阪神時代の恩師・野村さん。奇策やトレードを活用する姿は“弱者の兵法”そのもの。ツールがSNSに変わっただけで、やっていることは、メディアを使った野村さんのボヤキとも相通じるところはあります」(前出のデスク)

 “1年目には種を撒まき、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせよう”とは、90年に前年まで9年連続Bクラスのヤクルト監督に就任した際の野村監督の言葉。言葉通り、野村監督は3年目に優勝を果たした。

 師から遅れること2年。5年目の新庄監督が花を咲かせられるか――。