■「人に頼らなきゃ生きていけない」感じたからこその死後プラン

――実際に“人に頼らないと生きられない”と感じる瞬間はありますか?

「この前、タクシーでラーメン店に行ったときも感じましたよ。私なんて車から降りてもせいぜい松葉杖で2、3歩しか歩けないわけですよ。それに気がついた運転手の方が店の目の前まで車をつけてくれるわけ。

 店についたらついたで、私に気がついた店長さんが走って来て扉を開けてくれるんですよ。そこまでしてもらっては申し訳ないと思うのと同時に、ありがたいな、助かるなとも思いますね。だから、どんな場面でも、“人がいないと自分は生きていけない”ってことは、はっきり認識しています」

――傭兵時代とは考え方が180度変わったのではないでしょうか。

「丸っきり。こんな体になるとは夢にも思ってなかったもん。40後半ぐらいのときに、飲み屋で喧嘩になったことがあって。俺と同い年ぐらいのおっさんが、“娘もいて、孫の顔も見たいから長生きしたい”って言うから、“ふざけんな! 俺とあんたみたいなジジイが、いつまでもぬくぬく生きてたら若い奴に迷惑かけるに決まってんだから、とっとと逝くのがいいんだよ!”って怒ったの。

 昔は年齢を重ねたら、さっさと店じまいした方が良いくらいに思ってたけど、今ではそうは思わないね。誰もが生きる権利はあるし、死にかけの老人でもその家族が延命治療を望むのは当然じゃない。その権利を否定したらダメだなと思うようになった。それは死と隣り合わせの傭兵時代にはなかった考えだね」

――リーさんが「余命1か月」とお医者さんに告げられてから2年近くが経とうとしていますよね。なぜ、ここまで生きられたのだと思いますか?

「スケベだからだろうね。キレイな女性を見るのは好きだしさ! 快楽を我慢してないのがいいんだろうね。酒もガバガバ飲むしさ。男の活力って最後まで大事だよね」

――人生でやり残したと思うことはありますか?

「自分の病気が何かわからないまま死ぬのは嫌だなと思っています。傭兵だったからでしょうね。俺の敵は誰かというのを知りたいんです。どうせもう、病気との戦いに勝てないのはわかってる。ただ、敵の正体が知らないまま死ぬのは嫌なんです。だからこそ、病名を知るために北は東北大学病院から南は九州大学病院までありとあらゆる有名大学病院に行きましたよ」

――ご自身の中で最期を迎えるにあたって、準備していることや考えていることはありますか?

「自分が死んだら、この体を有効活用してくれる大学病院に献体したいと言ってるんですよ。研究機関にも“私のDNAを調べてくれ”と頼んでいるんです。未知の難病って言われている、同じような病気の特徴が発見できるかもしれないですし、医療の進歩に貢献できるかもしれませんからね」

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 闘病生活という“人生最後の戦い”に挑んでいるテレンス・リー氏。前向きに生きるその姿が少しでも長く見られることを願うばかりだ。

【前編】【余命1か月報道から2か月】テレンス・リーが明かす「本当の症状」とハイボールを飲みながら取材に答えるワケでは、現在のリー氏の病状と医師から受けたアドバイス通りに生活するリー氏の姿を伝えている。

テレンス・リー
1964年10月30日生。元傭兵。軍事評論家や危機管理コーディネーターとして活動している。『俺は戦争下請け屋 - MEAT IS MURDER』(東邦出版)や『テレンス・リーのまず3日生き延びろ! ― 大震災サバイバル読本』(双葉社)など著書多数。