武田鉄矢が、心を動かされた一冊を取り上げ、“武田流解釈”をふんだんに交えながら書籍から得た知見や感動を語り下ろす。まるで魚を三枚におろすように、本質を丁寧にさばいていく。

 世界中の人々を熱狂させている日本のマンガ、アニメをテーマに武田節全開でお話しさせていただいております。

 昨年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』を見ていて思いました。あのドラマは江戸時代の出版文化の物語ですが、本をつくる作業においては物語を書く作家と挿絵を描く画家は一緒に共同作業しておりました。つまり、活字のそばにすぐ絵が描いてある。

 これは武田流解釈ですが、この“活字のすぐそばに絵がある”という文化が、日本発のジャポニズムの重大な一端を担ったのではないだろうか。

 週刊誌もそうですが、活字のすぐそばに絵(写真)を添えるという文化が日本にはある。それが蔦谷重三郎の江戸時代から、ずっと現代まで続いている。それが、やがて戦後昭和の時代になって、つまり我々団塊の世代が誕生した頃に、活字の添え物であった絵が逆転。今度は絵のほうが主人公になって活字が寄り添う形で“ある雑誌”が生まれた。

 これが1959年3月のこと。当時、武田鉄矢10歳になる直前。それが『週刊少年マガジン』(講談社)創刊。そして、すぐに『週刊少年サンデー』(小学館)が続く。

 このとき絵が主人公になり、マンガという“絵物語”の時代が本格的に到来した。

 これは私の思い出ですが、あのときのことはまだ鮮明に覚えております。『少年マガジン』が初めて本屋さんに並んだ日、かあちゃんから小銭をもらって本屋さんまで買いに行った思い出があるんですよ。

 たしか、当時の値段で40円だったと思うんです。小学3年の終わり。

 本誌の他に、別冊付録っていう読み切りマンガが載ってる小冊子が3、4冊、本誌の真ん中に挟んであって、それを抱き締めて家に帰ったときの、あの興奮は忘れない。

 創刊号の表紙は、当時、大人気だった大相撲の朝潮太郎(46代横綱)。もうワックワクしてページをめくった。『少年マガジン』『少年サンデー』、このマンガ雑誌からあふれ出たヒーローたちが私の文化史のスタート地点です。