■デブはみんな「ブーちゃん」と呼んでかわいがる

 監督として采配を振ったグラウンドでも、選手以上に注目を集めた。特に、自軍選手の名前さえロクに覚えない、言い間違えエピソードは、数知れない。

 そんな中、「すぐ四つに組みたがるぐらい太っている人が好きだった」(前出の角盈男氏)というミスターから、「ブーちゃん」と、ことの外、愛されたのが前出のデーブこと大久保博元氏だ。

「タレントの松村邦洋のことも“ブーちゃん”と呼んでいたから、デブはみんな、そう呼んでいたのかも(笑)。でも、愛称で呼ばれるのは特別な感じがして、やっぱり嬉しかったですね。

 三振した悔しさでバットをバキバキに折ってベンチ裏で暴れていたときも、わざわざ追いかけてきて“いいよ、ブーちゃん”と声をかけてくれました」

 第一次政権後の浪人時代から、ゴルフや食事など「たくさんご一緒させていただいた」という芸人のせんだみつお氏は、こう言う。

「監督に呼ばれて、ドームの関係者入り口に行ったら、とある親子に声をかけられたんです。“せんださんですよね、うちの子供が長嶋さんのファンで、なんとか会わせてもらえませんでしょうか”と。聞けば、北海道から来たらしく、息子さんはハンディキャップをお持ちの方でした」

 監督室で待つミスターに、せんだ氏は電話をした。

「即答で“連れておいで”と言うんです。そして、部屋に入るなり、“よく来たね”と、お子さんを抱きしめた。まったく知らない人ですよ。長嶋さんは、いつでもどこでも長嶋さんなんです」

 沈むことのない太陽は、今後も巨人のみならず、我々ファンを照らすだろう。

【前編】では、監督時代のミスターの負けず嫌いな“闘将”ぶりや、“勘ピュータ”とも称された人並み外れた勝負勘などを“名・珍カルタ”で再現。阿部慎之助氏の辞任がチームに暗い影を落とす中、球界の太陽だった偉大な先人の足跡をたどる。《【前編】はこちらから》

角盈男(すみ・みつお)
1956年生まれ。鳥取県出身。米子工業高校から、三菱重工三原を経て、1976年のドラフトで3位に指名され、77年に長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツに入団。78年新人王、81年最優秀救援投手に輝く。オールスター出場2回、リーグ優勝で有終の美を飾る。実働15年の通算成績は618試合で38勝60敗99セーブ、防御率3.20。引退後、元祖ベースボールタレントとして活躍するかたわら、ヤクルトの投手コーチを経験し、球団の日本一に貢献。97年には古巣・巨人の投手コーチに就任し、長嶋監督とヤクルトの野村克也監督の下でコーチを経験した唯一の存在でもある。『日本の魔球がメジャーを制す!』(宝島社新書)『野村ノートの読み方~個を再生し、組織を立てる~』(光文社)など著書多数。

大久保博元(おおくぼ・ひろもと)
1967年2月1日生まれ。茨城県出身。水戸商高時代は強打の捕手“水戸の怪童”と呼ばれ、85年にドラフト1位で西武入団。アメリカ留学を経て92年に巨人へ移籍し、同年にはセ・リーグ6月度月間MVP、オールスター出場。通算成績は303試合の出場で打率.249(158安打)、41本塁打、100打点の記録を残し、95年に引退。2001年にはプロゴルファーとしてライセンスを取得。08、10年に西武打撃コーチ。12年に楽天で打撃コーチを務め、13年に2軍監督、14年途中から1軍代理監督、15年に監督。現在は講演、野球教室やゴルフイベントを通し、スポーツの楽しさ、素晴らしさを伝えている。

せんだみつお(せんだ・みつお)
1947年生まれ。東京都出身。子役としてデビューし、1970年代には伝説的なテレビ番組『ぎんざNOW!』『うわさのチャンネル』やラジオの司会などで人気を博した。「ナハナハ」のギャグで知られるマルチタレントだが、俳優としても時代劇からサスペンスドラマまで幅広く活躍。NHK大河ドラマ『おんな太閤記』『春の波涛』『春日局』『毛利元就』などにも出演。